四旬節第3主日「さあ、見に来てください」【こうじ神父・取って食べなさい】
Автор: こうじ神父「取って食べなさい」
Загружено: 2026-03-08
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四旬節第3主日(ヨハネ4:5-42)「さあ、見に来てください」【こうじ神父・取って食べなさい】
今週の木曜日、3月12日になると、なんと60歳になります。60歳になる時、皆さんはホッとしたでしょうか。私はゾッとしています。あーもうそんな歳になったのかと。そもそも何か良いことあるのでしょうか?ミサ中に「儀式書」を開く際、指に油がなくて頁がめくれません。
この前はステーキが出て、おいしそうですが「半分食べるのが関の山かな」と思ってしまいました。歳を取るというのはこういうことです。会議の入った日に、チャイムを押されて「会議ですよ」と呼び出されました。その現実がなかなか受け入れられません。しかしこれらは、人生を完成させるための「始まり」に過ぎないのかもしれません。
さて朗読された福音は「イエスとサマリアの女」の場面です。短い方の朗読を選びましたが、朗読してみると、省略をうかがわせる箇所が見つかります。「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。わたしたちは自分で聞いて、この方が本当に世の救い主であると分かったからです。」(4・42)
サマリア人の女性は何を話したでしょうか。省略された部分はこうです。「さあ、見に来てください。わたしが行ったことをすべて、言い当てた人がいます。もしかしたら、この方がメシアかもしれません。」(4・29)
サマリア人の女性が村人に語った言葉は印象的です。多くの村人たちはこの言葉に導かれてイエスを信じました。これはつまり、サマリア人の女性が実行した信徒による信徒のための宣教活動だったのです。
彼女が「さあ、見に来てください」と村人たちに語りかけるまでに、彼女は何か準備をしたのでしょうか。実は準備をしたのは彼女ではなく、彼女と「永遠の命に至る水」について語り合ったイエス・キリストでした。それは私たちにとっても同じことです。私たちの宣教活動も、準備してくれるのはイエス・キリストです。
「わたしが行ったことをすべて、言い当てた人がいます。」女性は村人にこのように語りました。彼女はイエスに呼ばれ、集められて、御父の御心を行う使命を与えられました。きっかけは自分で井戸に水を汲みに行ったことでしたが、そこで導かれ、宣教者に変えられたのです。
私たちに当てはめてみましょう。私たちがこのミサに呼ばれるのも、きっかけは自分でミサに足を運んだことですが、イエスは集まった私たちを宣教者に変えることが出来ます。「永遠の命に至る水」をあなたに注ぎ、準備ができている人も、そうでない人にも、宣教者に変えてくださるのです。
イエスは今も私たちに、「水を飲ませてください」と呼びかけます。水が飲みたいのではなく、あなたが世の中で汲むことができない水を、あなたがイエスからしか与えてもらえない水を与えようとして声を掛けるのです。それはまず、この聖堂から始まります。イエスが与えた水があなたの中に満たされる。すると、今度はあなたが泉となって、イエスが与える水をそれぞれの生活の場で人々に注いでいくのです。
あとは、私たちがどのように水を得て、水を分け合う者となれたか、そこまでのいきさつを勇気を出して語るだけです。難しい言葉は要りません。「さあ、見に来てください」と、生活の中で出会う人に語るだけです。今日私たちはサマリアの婦人に倣い、イエスから永遠の命に至る水を与えられた者として生活に戻りましょう。
私たちと出会う人が、「その水をください」と言ってくれるチャンスを届けてあげる人になれますように。
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