三軒茶屋ナザレン教会礼拝説教「人生の導き手」2025年10月19日
Автор: 三軒茶屋ナザレン教会
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2025年10月19日 礼拝式説教
創世記15章1~21節
「人生の導き手」
日本ナザレン教団三軒茶屋教会
牧師 石川博詞
<説教から> 私たちの人生を導いてくださる方が、いつも共にいてくださることを確信し、深く感謝したいと思います。そして改めて、その尊い導きに従う信仰を強くしたいと思います。そのために、私たちクリスチャンには、アブラハムの信仰が示されており、彼の信仰に倣うのです。今、その箇所を読みました。信仰の父とまで呼ばれているアブラハム(この時はアブラム)が、主なる神様と契約を結んだことが記されているとても重要な箇所です。その契約の内容とは、主なる神様がアブラムに、「あなたの子孫はこのようになる」と、星の数のように膨大な子孫を与えるとの約束です。アブラハムの子孫とは、代々家系が繋がっていくということだけではなく、信仰上の子孫をも含むと捉えるならば、私たちさえ含まれることとなります。まさに星の数ほどになるわけです。
ところがこの時、アブラムには子どもがいませんでした。すでに年老いていた彼は、その現実を受け入れる他ないことは分かっていました。ですから、僕エリエゼルに家を継がせる決断をしていたのです。2~3節にその思いが語られています。
しかし、主なる神様は、人間の常識としてのアブラムの考えとはまったく次元の違うご計画を明らかにされます。それが「あなたの子孫はこのようになる」なのです。とは言え、主なる神様のお約束には、何ら具体的な計画や保証などは示されていません。普段、私たちが何か新たな案を提示し、その実現のために周りの人々からの協力を得るためには、しっかりした計画を練り、実現までの道筋を整えて、協力してくれる仲間が安心できるように担保、保証を用意する必要があります。そうして、はじめて社会的な信用を得ることができるのです。アブラムも主なる神様に、そうした計画や保証を、8節で次のように求めています。「アブラムは尋ねた。『わが神、主よ。この土地をわたしが継ぐことを、何によって知ることができましょうか。』」と。ところが、アブラムの要求に対して、主なる神様は契約のしるしとして生け贄を捧げる祭礼を行うよう命じられ、夢の中で、子孫の行く末を示すのみで、アブラムの問いに応えてはくださいません。年老いたアブラムに、いったいどのようにして実子が与えられるのか、それには一切触れてはくださいません。これでは社会的常識として、約束とはみなされません。
ちなみに私たちの教団の年次総会でも、何か新しい案を実施するために議案を提出する際には、いつまでに、どのくらいの費用で、誰が、どんな作業を行うのかといった、とても具体的な計画を示すことが必ず求められます。そうした計画がしっかりしていなければ、代議員たちから賛同を得られません。
しかしアブラムは、主なる神様に対して、それ以上何も求めませんでした。そして彼は、主なる神様から命じられた通りのことを行うのです。そして、6節にある通り「アブラムは主を信じた」のです。この短い記述こそ、聖書が伝える信仰のすべて、土台です。人間同士が必要とするのは、綿密な計画や保証です。しかし、創造主なる神様が示してくださる導きについて、造られた私たちの方から、その計画案を審議することなど、まったく意味がありません。私たちは、ただ主なる神様の導きを信じるのみであって、神様を完全に信頼して従うのみだからです。それが信仰です。
幸いなことにアブラムは、そうした信仰を抱き、人生の導き手として主なる神様に従い続けました。だからこそ、彼は今に至るまで「信仰の父」として記憶され続けているのです。もちろん、アブラムのように、主なる神様を信じて従っていく信仰を持ち続けるというのは、簡単なことではありません。私たちはいつも、この先どうなるのだろうかと不安を抱く者だからです。例えば、私たちの個人的な事柄もそうですが、イエス様が再びお出でくださる日とは、いつのことなのだろうかと、あれこれ思い巡らすことがあります。弱さの中に生きる私たちは、そうした不安から、場合によっては自分勝手な信仰解釈を始めてしまうことさえあります。残念ながら、アブラハムでさえ、この後、主なる神様のお約束を待ちきれず、悩み抜いた末、主のご計画からそれた行動をしてしまい、それによって深い悲しみを負ってしまいます。それでも、再び真の主なる神様だけが、自分の人生の導き手であることを思い起こし、悔い改め、立ち返ることができたのは、信仰があったからです。ならば、私たちなど尚更です。信仰があるからと思っていても、試練がやって来ると、すぐに嘆き、疑い、導いていてくださる主の御手の温もりを忘れかけてしまいます。ですから私たちは、決して主なる神様のお導きを忘れないようにしていなければなりません。主の尊い御言葉を、ひたすら心の内に握り締め続けていければなりません。神様は、私たちの思いを遙かに超えた方法で、必ず最善へと導いてくださる方です。私たちは、ひたすらそのことを信じて、すべてを主に委ねるのみです。その信仰に生きてこそ、最後に必ず豊かな祝福があります。私たちも、アブラハムが歩んだように、共に信仰の希望に生きる日々を歩んで行きましょう。
主なる神様の御恵みをお祈りします。アーメン。
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