美術品鑑賞第1498回【ヴェネツィア、サン・マルコ広場】カナレット―― 都市は描かれ、出来事は固定される
Автор: 美術品鑑賞・美術館・博物館・足跡
Загружено: 2026-01-21
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美術品鑑賞第1498回【ヴェネツィア、サン・マルコ広場】カナレット―― 都市は描かれ、出来事は固定される
作品情報
作品名:ヴェネツィア、サン・マルコ広場
作者:ジョヴァンニ・アントニオ・カナル(カナレット)
制作年:1732–33年頃
技法材質:油彩 カンヴァス
展示情報:
東京富士美術館コレクション
ヨーロッパ絵画 美の400年
開催期間:2025年10月4日(土)~2026年1月18日(日)
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カナレットの作品
【ヴェネツィア、サン・マルコ広場】
都市は語られる
だが歴史は進行しない
人は動き、時間だけが固定される
一、都市風景画の成立 ―― 画家略歴と本作の位置
ジョヴァンニ・アントニオ・カナル(通称カナレット)は、18世紀ヴェネツィアを代表する都市景観画、すなわちヴェドゥータを確立した画家である。
舞台装置画家の家系に生まれた彼は、若い頃から建築空間を「正確に構築し、視覚的に制御する」技術を身体的に習得していた。その訓練は、遠近法の理解にとどまらず、観客の視線をどこに導き、どこで止めるかという演出的思考を含んでいる。
カナレットの特異性は、都市を理想化も寓意化もせず、「見えるものとして固定する」点にある。
17世紀までの都市表現が、宗教画や歴史画の背景、あるいは権力の象徴として従属的に用いられてきたのに対し、彼は都市そのものを主題として前景化した。だがそれは都市礼賛ではなく、都市の機能停止状態を可視化する試みでもあった。
本作《ヴェネツィア、サン・マルコ広場》において描かれるのは、事件や祝祭ではない。
むしろ、都市がもっとも都市らしく存在する瞬間――何も起こらない時間、制度が作動していない時間である。都市が自らを主張しない状態こそが、最も安定した像として選び取られている。
カナレットは都市を語るが、動かさない。
彼が固定したのは出来事ではなく、都市が出来事を待ち続けるための構造そのものであった。その構造は、後の都市風景画の基準点として機能することになる。
二、広場は舞台ではない ―― 中心空間の非劇場化
サン・マルコ広場は、ヴェネツィアにおける政治・宗教・祝祭の中心空間である。
しかし本作において、この広場は一切の劇性を剥奪されている。祝典の高揚も、権力の誇示も、集団的な動員も描かれず、広場は「使われていない中心」として提示される。
人々は確かに集っている。
だが彼らは群衆にならず、視線も動線も交錯しない。広場は開かれているが、緊張を生まない。すべてが分散し、同時に存在しているだけで、中心へ収束する力が働いていない。
通常、都市の中心空間は「意味の中心」として描かれる。
しかしカナレットはその期待を拒否する。広場は制度を象徴せず、物語を起動せず、ただ幾何学的な広さと配置の秩序のみを示す。ここでは、意味は意図的に空白化されている。
この非劇場化によって、広場は「何かが起こる場所」ではなく、「何も起こらないことが保証された空間」として成立する。
都市の中心は、意味の中心ではない。ここで中心とは、視覚的な安定を保つための結節点にすぎず、権威や物語の核ではないのである。
三、建築は語らない ―― 正確さと沈黙
画面左にはサン・マルコ寺院、中央に鐘楼、右にはドゥカーレ宮殿と新行政官庁が連なる。
それぞれは驚くほど正確に描写されているが、象徴的誇張や演出的強調は一切見られない。建築は際立つが、主張しない。
建築はここで、歴史を語らない。
宗教性も権力性も前景化されず、ただ比例と遠近、光の受け方によって空間として成立している。建築は意味を伝達する媒体ではなく、都市の骨格として沈黙している。
この精度は記録主義の産物ではない。
カナレットにとって正確さとは、都市を「信じられる空間」として固定するための条件である。虚構や誇張を排除することで、鑑賞者は都市を疑うことなく、ただ受け入れる立場に置かれる。
誇張が排除されることで、建築は解釈を要求しない。
それゆえ建築は語らず、沈黙のまま都市の輪郭を支え続ける。沈黙そのものが、この都市の安定性を保証している。
四、人は主役にならない ―― 群衆の非物語性
広場には数多くの人物が描かれている。
しかし、誰一人として物語の中心に立たない。身振りは抑制され、表情は読み取れず、行為は完結しない。人物は常に途中の状態に置かれている。
人々は歩き、立ち止まり、談笑しているようにも見える。
だがそこに決定的な出来事は存在しない。彼らは都市を生きている主体ではなく、都市のスケールを測るための単位として配置されているにすぎない。
群衆は集団にならず、歴史を持たない。
彼らは都市を賑わせるが、都市を変化させない。行為は連鎖せず、因果関係を形成しないため、物語は発生しない。
この非物語性によって、時間は固定される。
人は動くが、歴史は進行しない。人間の運動は、都市の時間に吸収され、痕跡を残さない。都市だけが、同じ姿のまま留まり続けるのである。
五、光は演出ではない ―― 均質な照度
カナレットの画面を満たす光は、劇的でも象徴的でもない。
陰影は存在するが、対立を生まず、視線を一点に集中させることもない。太陽光は都市全体を均等に照らし、すべてを同列に扱う。
この光は感情を喚起しない。
崇高さも祝福も、時間帯すら明確に示さず、都市を「最も見やすい状態」に整えることだけを目的としている。光は都市を際立たせるのではなく、均質化する。
光は意味を付与しない。
善悪も、聖俗も、政治的価値も示さない。それゆえ都市は、解釈の対象ではなく、完成した視覚構造として成立する。見る者は考える前に、まず納得させられる。
ここで光は演出ではなく、管理である。
都市が都市として静止するための、視覚的条件そのものなのである。
六、都市は固定される ―― 到達点としての非時間
《ヴェネツィア、サン・マルコ広場》には、始まりも終わりも存在しない。
祝祭の前でも後でもなく、歴史の転換点でもない。時間は切り取られ、連続性を失っている。
人はやがて去り、制度は変わり、建築も老朽化する。
だがカナレットが描いた都市は、それらの変化を引き受けない。ここにあるのは、変化する以前の都市でも、変化した後の都市でもない。
ここで固定されているのは、都市の「最も安定した像」である。
時間は切断され、出来事は排除され、都市は永遠の現在に置かれる。その現在は、更新されないが、崩壊もしない。
カナレットが到達したのは、
都市を描きながら、歴史を描かないという地点であった。
《ヴェネツィア、サン・マルコ広場》は、
都市が出来事から解放され、純粋な視覚構造として完成した瞬間を、沈黙のまま提示している。
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「都市は描かれる。だが、時間は動かない。」
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