祖聖親鸞と生死
Автор: 本願海濤音
Загружено: 2026-01-12
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親鸞における生死観の深化と展開
エグゼクティブサマリー
本稿は、臼井元成氏の論考「祖聖親鸞と生死」に基づき、親鸞の生涯における「生死」の問題への取り組みと、その思想的変遷をまとめたものである。親鸞の生死観は、法然との出会いを画期として、若き日の「無常観」から、自己の内面に深く根差した「罪業観」へと質的な転換を遂げた。
吉水入室以前、親鸞は世の無常と身命の危うさから、ひたすら死後の救済(後世得脱)を求める切迫した探求の中にあった。しかし、建仁元年の吉水入室という全存在的な宗教的転換(廻心)を経て、生死を単なる外的現象ではなく、自身の内なる「煩悩具足」の現実、すなわち曠劫以来の罪業に根差す苦悩として把握するに至る。この「機の自覚」は、阿弥陀如来の大悲願心(法)への絶対的な帰依、すなわち他力信心へと直結した。
廻心後も親鸞の探求は止まらず、自己の内なる自力執心への厳しい省察を通じて、その信仰は絶えず深化していった。衆生利益のための経典読誦という利他的行為の中にすら潜む自力心を見出し、また病中の夢幻に過去の執着の残滓を感知するなど、徹底した自己批判を続けた。その過程で、自己のはからいを捨て、すべてを如来のはからいに任せる「自然法爾」の境地へと到達する。
晩年、親鸞は「踊躍歓喜のこころ」や「浄土へ急ぐこころ」がない自己の現実を直視し、それこそが煩悩の仕業であり、だからこそ大悲はいよいよ頼もしいという逆説的真理を体得した。その無常観は若き日の焦燥から、死を当然、生を不思議と受け止める深く透徹した静けさへと円熟し、念仏一つによって生死を超える道を自らの生涯をもって明らかにしたのである。
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1. 序論:親鸞の生涯を貫く「生死」という課題
中国の兵法家・呉子の言葉「必死則生、幸生則死」(死を必すれば則ち生き、生を幸えば則ち死す)は、宗教的には「自我の抛擲」によって真の生が得られることを示唆する。この言葉に象徴されるように、仏教は人生を「生死」の問題として捉え、その超越を核心的な課題としてきた。
祖聖親鸞は、まさしくこの生死超越の道を生涯かけて求め、明らかにした人物であった。彼の宗教的な誕生、すなわち真の意味での再生は、建仁元年(1201年)、法然の門下に入った「吉水入室」の出来事にあったと自ら述懐している。
然愚禿釋鸞、建仁辛酉暦、棄雑行兮帰本願。 (『教行信証』後序)
この出来事は、親鸞の全生活における転回点であり、その後の思想形成の出発点かつ帰着点となった。本稿では、この吉水入室を分水嶺として、親鸞の生死観がどのように深化し、展開していったかを考察する。
2. 吉水入室以前の生死観:無常観と後世得脱の希求
後世の高僧の多くがそうであったように、親鸞の出家の動機もまた「無常観」にあったと伝えられる。幼少期の父母との死別や、戦乱が続く痛ましい時代社会の姿は、彼の宗教感情を強く刺激し、人生の不如意と世の無常を感知させた。彼にとって、この世は照らされるべき「暗い大地」であり、その暗さの中から永遠の光が求められた。
比叡山での二十年間の修行生活の詳細は不明だが、『恵信尼消息』によれば、彼は常行三昧堂で不断念仏を修する「堂僧」であった。しかし、その深い学識から、単なる念仏者ではなく、顕密の教学にも懸命に励んだことが推察される。
修行が真摯であればあるほど、理想と現実の矛盾に苦悩し、智慧と煩悩の相克に苛まれた。存覚が後に親鸞の苦衷を推察して記したように、修行によって心の静けさを求めようとしても、妄念の波は絶えず動いていた。
定水を凝らすと雖も、識浪しきりに動き、心月を観ずと雖も、妄雲猶覆う。 (『歎徳文』)
在叡時代の親鸞は、常に出家の動機に立ち返り、「生死出離」を根本課題として苦闘した。『恵信尼消息』には、六角堂に参籠して「後世を祈らせ給い」、法然を訪ねたのも「後世の助からんずる縁」を求め、「生死出ずべきみちをば、ただ一筋に」尋ねた、と記されている。
これらの記述から、吉水入室以前の親鸞は、生死を「無常観」において捉え、無常迅速の世における身命の危うさを感じ、ひたすら死後の救済(後世得脱)を切迫した不安と焦燥の中で願っていたことがわかる。
3. 宗教的転換と生死観の変質:罪業観への深化
吉水入室は、親鸞の生死観に決定的な転換をもたらした。彼は生死を、単なる無常という外的現象としてではなく、自己の内面に根差す「苦悩」であり「罪業」として把握するようになる。この転換は、『歎異抄』が示す「廻心」の様相と一致する。
日ごろ本願他力真宗をしらざるひと、弥陀の智慧をたまはりて、日ごろのこころにては往生かなふべからずとおもひて、もとのこころをひきかへて、本願をたのみまひらするをこそ、廻心とはまふしさふらへ。 (『歎異抄』第十六章)
親鸞は、自身のやるせない無常の悲哀や死の恐怖を深く省察する中で、それが生命そのものの根源的な苦悩であり、曠劫以来の宿業と底なしの罪障に起因することを感じ得た。この深い自己認識は、如来の大悲願心によって初めて可能となる。
親鸞は、自身が「煩悩具足のわれら」であり、「いずれの行にても、生死をはなるることあるべからざる」罪悪の身であると深く自覚した。この徹底した自己への悲歎が跳躍板となり、そのような悪人こそを救おうとする阿弥陀如来の本願(悪人成仏)を探り当てたのである。
他力をたのみたてまつる悪人、もっとも往生の正因なり。 (『歎異抄』)
ここにおいて、罪悪生死の凡夫であるという「機」の自覚は、絶望ではなく、如来の大悲願力に乗托するという「法」における自己発見へと転化した。生死は、もはや逃れるべき無常の現実ではなく、如来の大悲によって救われるべき罪業の現実として、内面的に捉え直されたのである。
4. 廻心後の深化:執心自力への省察と自然法爾の境地
建仁元年の廻心は終着点ではなく、むしろ宗教的自覚が深化し続ける新たな出発点であった。親鸞は廻心後も、自己の内に潜む「執心自力」の心への鋭い省察を通じて、その信仰を絶えず深めていった。
4.1. 三部経読誦の発願と省察(建保二年)
親鸞は42歳の時、衆生利益のために三部経を千部読誦しようと発願した。しかし、すぐに思い返し、これを中止する。「自信教人信」(自ら信じ、人に教えて信ぜしめること)こそが仏恩に報いる道であり、名号の他に何が不足しているのかと自問したのである。
この出来事は、利他行という善行の中にさえ潜む「執心自力」の心への鋭い気づきを示している。如来の願船に乗ることで自力の無効性を知りながら、なお自力を頼もうとする自己の心を深く省察し、懺悔した。この悲歎と懺悔を通じて、大悲願心によって自己の執心が明らかにされることへの信知が深まり、如来の真実への歓喜と讃仰へと繋がっていった。
4.2. 病中の夢幻と執心の執拗性(寛喜三年)
59歳の時、親鸞は重い風邪で臥床した際、夢幻の中で無意識に『大経』を読み続けるという体験をした。しかし彼は、これを宗教的精進の証とは捉えず、むしろ17~18年前に発願して中止した経典読誦の「余執」が、心の深底に未だに残っていたことの現れと鋭く感知した。
人の執心、自力の心は、よくよく思慮あるべし。
この病中の体験すらも、自力執心の執拗性を見出す機会とし、厳粛な自己批判へと向けた。この徹底した省察によって、信心は自己の力によるものではなく、まさしく「如来よりたまわりたる信心」であり、人々は「弥陀の御もよおしにあずかりて」念仏申すのだという確信が、より一層深められたのである。
このような自己執心の自覚を経て、自我が崩壊する響きの中で、すべてが本願の真実一つであると聞き当てられる。その結果、親鸞は以下の「自然法爾」の世界へと到達した。
信心さだまりなば、往生は、弥陀に、はからわれまいらせてすることなれば、わがはからいなるべからず、わろからんにつけても、いよいよ願力をあおぎまいらせば、自然のことわりにて、柔和忍辱のこころもいでくべし。 (『歎異抄』第十六章)
5. 晩年の境地:生死の受容と円熟した無常観
親鸞の晩年の思想は、『歎異抄』や消息(手紙)の中に記された言葉から窺い知ることができる。そこには、煩悩を抱えた自己の現実を完全に受容し、生死を超越した深い信境が示されている。
5.1. 唯円との対話に見る逆説的真理
『歎異抄』第九章で、弟子の唯円は「念仏を申しても、飛び上がるほどの喜びの心がなく、また急いで浄土へ参りたいという心も起こらないのはなぜでしょうか」と問う。親鸞は「親鸞もこの不審ありつるに、唯円坊おなじこころにてありけり」と応じ、その問いに自らの姿を見出す。
そして、この問いに対し、親鸞は逆説的な答えを示す。
喜びの心がないことについて: 「(喜ぶべきことを)よろこばぬにて、いよいよ往生は一定とおもいたもうべきなり。」
浄土へ急ぐ心がないことについて: 「いそぎまいりたきこころなきものを、ことにあわれみたもうなり。これにつけてこそ、いよいよ大悲大願はたのもしく、往生は決定と存じそうらえ。」
喜べない、急いで往生したいと思えない、それこそが煩悩の仕業であり、そのような煩悩具足の身であるからこそ、阿弥陀如来の大悲はいよいよ頼もしいのだ、という境地である。ここでは、自己が悲願そのものとなって生きる姿、煩悩に満ちた生活がそのまま本願に乗托する生活として、限りない意義を持つことが示されている。
5.2. 老いと死への静かな凝視
晩年の親鸞が各地の同朋に宛てた消息には、自らの老いと死を静かに見つめる平らかな心境が表れている。
この身はいまはとしきわまりてそうらえば、さだめてさきだちて往生しそうらわんずれば、浄土にてかならずかならずまちまいらせそうろうべし。 (『末燈鈔』第十二通)
ここには、若き日のような切迫した焦燥は見られない。今日まで生かされていることを感謝しつつ、明日の生命は当てにしないという、深く透徹した落ち着きが感じられる。
5.3. 円熟した無常観:「死は当然、生は不思議」
最晩年、88歳の時の消息で、親鸞は初めて「生死無常」という言葉を用いる。関東の同朋の死を悼みつつも、次のように記した。
ただし、生死無常のことわり、くわしく如来のときおかせおわしましてそうろううえは、おどろきおぼしめすべからずそうろう。 (『末燈鈔』第六通)
これは非情なのではなく、仏弟子であれば生死無常の理に今更驚くべきではない、という厳しい視点である。むしろ、驚くべきは今日一日を願いの中に生かされていることであり、死は当然、生は不思議である、という感受の姿がそこにある。この無常観によって、親鸞の心はかえって静かならしめられていた。それは、次の力強い宣言に裏打ちされている。
真実信心の行人は、摂取不捨のゆえに、正定聚のくらいに住す。このゆえに、臨終まつことなし。信心のさだまるとき、往生またさだまるなり。 (『末燈鈔』第一通)
親鸞は、無始以来の生死罪悪を抱える凡愚の代表として、ただ念仏一つによって、無常に身を委ねつつ生死を超えていく道を、自らの身をもって明らかにしたのである。
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