2026 2月1日年間第四主日643 02 マタイ05章01 02a節 ヨハネ・リータス神父 カトリックミサ説教syuusei
Автор: nao
Загружено: 2026-01-28
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この配信は、2026年A年2月1日年間第4主日のミサに合わせて、1996年1月28日 にリータス神父様によって司式されたミサにて行われた。マタイ第5章1節~11a節の朗読と、 そのお説教の内容です。本編の前に予備知識として 山上の垂訓「心の貧しい人々は、幸いである。」についての一般的な解釈について紹介いたします。
◎要約
リータス神父様によるこのお説教は、マタイ福音書の「真福八端(しんぷくはったん)」を、単なる道徳的な教えとしてではなく、「神の常識」と「人間の常識」の逆転、そして「神による統治(ガバナンス)」という視点から深く掘り下げたものです。
1. 「霊に駆られた貧しさ」:聖霊による豊かさ
神父様は、マタイ福音書が記す「心の貧しい人」という表現の背景にある「霊(スピリット)」に注目します。
イエス様自身の姿: イエス様は決して「心が貧相な人」ではなく、むしろ最高に「豊かな人」でした。しかし、聖霊に駆られて(導かれて)、自ら進んで「貧しく」なられました。
自発的な選択: ここでの貧しさとは、単なる欠乏ではなく、神の霊に導かれて自らを空け渡し、神の恵みを受け入れる「心の豊かさ」に裏打ちされた状態を指します。
2. 「神の統治」と「人間の支配」の違い
「天の国」とは何かという問いに対し、神父様は「支配(ドミネーション)」と「治める(ガバナンス)」の決定的な違いを説きます。
支配しない神: 世の支配者は力で命令しますが、天の父(アッバ)は家族を慈しむ父親のように、責任を持って「治め」ます。
愛の奉仕: 神の治め方とは、力による強制ではなく、十字架に象徴されるような「永遠無限の愛の奉仕」です。もし神が力で支配する方なら、わざわざ苦難の道(十字架)を通る必要はなかったはずだと説かれます。
3. 「神の常識」と「世間の非常識」
山上の説教で語られる「幸い」は、世俗的な価値観から見れば「非常識」あるいは「冗談」のように聞こえます。
逆転の論理: 悲しむ人、迫害される人が幸いであるという教えは、頭で理解できても心では拒絶しがちです。
イエス様の死に様: この「非常識」を理解するためには、イエス様の生き方、特に自分を殺す者を赦した「愛死(あいし)」と復活を見つめる必要があります。世間の常識が神の前ではいかに愚かであるかを悟ることが重要です。
4. 幸せの本番は「復活」にある
今この世で感じる幸せは、あくまで「オードブル(前菜)」や「呼び水」に過ぎないと神父様は言います。
希望としての幸い: 人生の最高の幸せは、常に「これから先」にあります。
体の復活: キリスト者にとっての本当の幸せの本番は、キリストと同じく「復活」することにあり、私たちはその希望によって今を生きているのです。
結論としてのメッセージ
このお説教は、「見かけ倒しの幸い(世俗的な富や強さ)」に惑わされず、道であり命であるイエスが示した「愛と奉仕の道」を歩むことこそが、神に治めていただく真の幸福への道であると結ばれています。
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