岩殿山|遺構の残る悲しい歴史、大迫力の岩壁 Silent hiking
Автор: ぼっち登山日和
Загружено: 2023-11-06
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「父が好きな空の色じゃ
わが父ならばどうすると思う?」
「間違いなく引くことと存じます
信玄公は十分なる勝ち目なき戦いは決してなさいませんでした」
「その通りじゃ
だから武田信玄は天下をとれなかった
手堅い勝利を百重ねようが、一の神業には及ばぬ」
(しばし沈黙)
「まもなく逃げ道がふさがれる
正面の敵は3万
待ち構える鉄砲組は千を超える
直ちに引くのが上策である
だが...引いてしまってよいのか
目の前に信長と家康が首を並べておる
このような舞台はもう二度とないぞ
命ながらえたいものは止めはせぬ、逃げるがよい
だが、戦場に死して名を残したいものには
今日よりふさわしきはない!
わが父が申しておる
敵は織田信長
武田信玄を超えて見せよと!
我が最強の兵どもよ
信長と家康の首をとってみせよ
お前たちの骨はこのわしが拾ってやる!」
マンガみたいと思いながら、毎週かかさず「どうする家康」を見ています。
この長篠の戦を前にした、武田勝頼のスピーチは、めちゃくちゃハートを射抜かれました。やっぱり日本人は、勝敗を超えた潔い散り際に美しさを見出す民族なんでしょうか。
そして、ししのかしらの眞栄田郷敦がすごいかっこよくて、涙腺崩壊。
だよねー、だよねー。
お父さんが偉大だと男の子は父子の関係も己の人生も大変だよねー。
なんというか、新たな切り口の武田勝頼像だった。
その勝頼ともゆかりのあります今回の岩殿山というのは、山なんですけど城でもありまして...。勝頼の家臣、小山田信茂の詰城だったと言われています。
1582年の織田軍による甲州征伐の際、新府城(韮崎市)を焼き払って、岩殿山城で籠城しようとした勝頼でしたが、小山田信茂に裏切られて入ることができなかった山城です。
窮した勝頼は、天目山(山梨県甲州市)の戦いをもって自害。
こうして、甲斐武田氏は滅亡したのです。よよよ。
その、武田勝頼がたどり着けなかった岩殿山城に!いざ参る!
というわけで、今回は、畑倉登山口から登り、本丸跡から大手門、築坂峠、兜岩、天目山、呼ばわり谷の大岩壁...というルートで歩きました。
実はこのルート、「落城の道」でした。
勝頼を拒んだ小山田氏もじきに滅亡します。
小山田信茂は、織田に寝返ったのに結局は織田(北条)勢に攻められます。
信茂側室の千鳥姫は従者の小幡太郎らに護衛されながら、信茂の次男「賢一郎」と赤子の万生丸を連れて脱出を図ります。
そのルートが、今回私が歩いたルートのようです。
呼ばわり谷の大岩壁まで来たとき、万生丸が泣き出したため、追手に悟られぬよう小幡太郎は千鳥姫から万生丸を取り上げ、大岩壁から投げ捨てた...!
なんということ!
それから...この150mの岩壁を稚児落しと呼ぶようになったそう。
そして一行は、がんがががすりやま...いや、雁ヶ腹摺山方面へ落ち延びたらしい。
(なんか万生丸は生きてた説もあり)
それにしても、岩殿山城は東西に長い大きな岩山をそのまま城にしています。
全方面が急峻で、南面は西から東までほとんどが絶壁を連ね、北面も急傾斜。
東西から接近できますが、それも厳しい隘路を通らなければなりません。
(斜度がきつくて、アキレス腱がずっと伸びっぱなしで痛かった!)
子檀嶺岳のときにも思ったのですが、見晴らし台にたってみれば敵の動きは丸見えです。地の利を生かした天然の要塞です。
そして、冠雪した富士山の姿も美しく、古の人々も、同じように秀麗な富士山を見たんだろうなぁ、と感慨深く思いました。
岩殿山城がとても面白かったので、真田昌幸の岩櫃城(群馬県東吾妻町)にも行ってみたいと思いました。
真田昌幸は岩櫃城に勝頼を迎えたいと申し出たとありますが、それは実現していません。実行されていたら歴史は変わっていたかもしれませんね。
歴史に「もしも」はないのだけれど。
撮影日:10月29日(日)
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