ガセネタ Live at 明治大学 1978.05.14(FULL)Japanese Post Punk New Wave No wave
Автор: Yuki Oba
Загружено: 2018-11-09
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ステージへ立つ度毎に罵声とゴミクズと嘲笑がとんでくるのは毎回のおきまりごと。演奏がはじまるともう何もわからなくなる。それはもう歌じゃない、音楽じゃない、ましてやメロディーや言葉やリズムなんかじゃない。悪くなって行くこと、どうしようもなく、いかなるあがきも居直りも狡猾さも少しのかいさえなしにただいたずらに崩れ流れて、無限大に拡大する不安と恐怖の中に、惨めさのなすすべもなしに広場の王子。そんな現在をただ拡大しただけの等身大のロック・バンド。
そんなバンドがガセネタだ。
00:00 社会復帰
04:07 雨上がりのバラード
07:02 雨上がりのバラード
10:15 雨上がりのバラード(インストゥルメンタル)
13:14 父ちゃんのポーが聞こえる
18:51 社会復帰
19:50 社会復帰
23:51 宇宙人の春
26:01 宇宙人の春
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1.雨上がりのバラード/Ame Agari No Ballad
もう何にもしゃべる気がしない 公園の日だまり
じりじりしたお日様に照らされ 行き倒れる老人
明るい太陽が薄張りのガラス窓を通して
青白い日光を投げ掛けては消える
ターンテーブルの上のレコードはすり切れてざらざらいう
コンクリートの固い地面に黙って唾を吐く
日曜日の雨はざぶざぶアスファルトの道に溢れて
辺り一面の落書きを洗い流す
目蓋の裏をメキシコの心臓がときめいている
発光した神経の糸に縫い付けられる目の蓋
つららみたいに冷たくなって触れない僕らのスクーター
黄色い砂漠の西の日照りにピアノのキーを叩く
グリーンハウスの真ん前で泡を吹く地下鉄
午後の病院の待合室にはいつも病人が住んでいる
今来た道を戻り直す無駄な反復の居眠り
ひびが入って割れそうになったダンロップ・タイヤ
くらくらして今にも消えそうな
青いろうそく 黒い瞳
焦点の定まらない
オート三輪のよだれ
雨上がりのバラード
オート三輪のよだれ
雨上がりのバラード
雨上がりのバラード
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ガセネタでは曲を4曲作った。
さいしょの2曲は「これの、どっちにするかだな」とかいいながら浜野が弾いてみせて、「いや、こっちはダメだ。これしかないな」と、(2曲目しかない)みたいなことをさいしょから言いはじめて、「じゃあ、1曲目はなんだったんだ」という気になるのだけれど、だいいちその「究極のこれしかない」2曲目というのは、まだロックっぽかった1曲目にくらべて、リフがひとつあるだけなんだから、音楽をやっているわけでもないぼくからすれば、まま子あつかいされた1曲目が不憫でならない。
それで勝手に「雨上がりのバラード」という名前をつけてやった。「どこがバラードなんだ」とは言われたけど、2曲しかないレパートリーの「勝負の分かれ目」みたいな「ガセネタのテーマ」曲にくらべて、おちゃらけた付け足しみたいなあつかわれようは、充分、泣きが入るところだ。
—『役立たずの彼方に 大里俊晴に捧ぐ』山崎春美の文章より
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2.父ちゃんのポーが聞こえる/Tou-Chan No Poe Ga Kikoeru
だだっ広い 校庭の
草深い 野っ原で
ぐずぐずと落ち着かない
肥大した 象の耳
ブラスバンド・・・
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曲は簡単で、ドラララーラララがつんのめって加速してめちゃめちゃになって終わる、というものだった(と僕は解釈した)。
1拍目でその時点でのonをキープし3拍目のスネアを早めに叩けば論理的には加速していく筈だと思った。ドラムはやったことがない、と言うと、こう腕をクロスさせて普通に、と言われてやってみたがその叩き方では無理だった。だから佐藤隆史はジャズのシンバルで逃げたし、乾はタムの連打で焦点をぼかしたのだ。
僕は、加速に焦点を与えたこの「父ちゃんのポーが聞こえる」という1曲だけでガセネタはいいと思っている。ドラムとベースが遅れ続けることによってしか曲をひきのばせなかったとしても。
—『nobody』36号・工藤冬里の文章から引用
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3.宇宙人の春/Uchujin No Haru
空中に沈む
見慣れない変なやつ
いつも気づかれない
誰からも素通り
巨大なメガホンを口に当てて
なんだか訳の分からないたくさんのことを
上からばあばあ喚いている
これではまるで雑踏の喧騒だ
もう止めろ
怒鳴るのはたくさんだ
つんぼになる
おしになる
かたわになる
手足のないだるま
のっぺらぼうのふぐ
ステンレスのお腹
三角尖り帽子
一度でも口から離したら
それっきりでおしまいに死んでしまう
哺乳瓶の口を銜えて
ただ押し黙ったまま壁を向いて
何光年も座り続けているだけ
何もしない
何も出来ない
もはや壁はない
けれど深い空白が閉じている
世界の結び目はつんつるてんに滑る
震える指先
心のブタを
クスリの散弾銃で
めった打ちに
がんじがらめの眠たいような
クラクションのざわめきに起こされて
凶暴なやるせなさが本気で床の間に座り込む
生きたくないから 突っ立っている
食べたくないから 引きずっている
眠れないから 咳き込んでいる
死にきれないから つばを吐く
交わらないから 腐っていく
遊ばないから 突き飛ばされる
やりきれないから 笑っている
続かないから 壊している
人間だらけの
星屑砂漠に
どこからも見えない
空中のお前
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さらに僕が文句を言いつづけて「わかったよ。ロックっぽいのを作ってやったから感謝しろ」と、やっと浜野が持ってきたのが3曲目で、なんといっても曲みたいだった。それが嬉しくてその日のうちにすぐ歌詞をつけて「宇宙人の春」と命名した。
—『役立たずの彼方に』山崎春美の文章より
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4.社会復帰/Shakai Fukki
ダンスホールの光を浴びて
泥酔したキリストがやってくる
銀メッキの十字架を抱きしめ
地上を這いずり回る
ぼくらは裸足だった あったかい
布織りの靴下欲しさに
道行く誰彼 お構いなしに
靴の裏やよだれを舐めた
明日ばかりか 今日もなくなり
彼方どころか 此処も見えない
のっぺらぼうの その日暮らしの
それでも たまに巡り倒れる
脱ぎ捨てられた 観念の上着
あらわれたのは ただの白黒画像だった
口々に侮辱の唾を吐きつけ
僕らは橋の上で別れた
はだか そのままの心臓を
砂利だらけの地べたを引きずり
血まみれの海の中で
かすかに今日を果たしあう
もはや朝もなく夜もなく
不気味な針金の電線が
幾重に巻き付くジャングルに
ぼくらの避妊を跨ぎ越える
ぼくらは四方八方で
別々にピストルをぶっぱなす
ずれた半身と半身がよじれ
あちらこちらに
穴が空いた
いつになくリアルに浪はざわめき
指物師の冷たい指が哄う
真実と玩具がごちゃまぜになって
がらくた市に売り飛ばされる
海底のような暗い閃きに
間違って感光させた白色フィルム
黒板に光るキラキラした瞳の
重たい夢の海に溺れそう
軽くウェーブのかかった
中近東のどこかの王子の髪型
透き通るひとつの願いはただ
涙と太陽の王国
歩ける日々を遠く思い
リハビリテーションに励む
嫌な畦道を斜めに進んで
それで救われましたか?
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そしたら、こんどは大里が「俺も作った」と言って持ってきたのが4曲目になって、これで曲作りというのは完全に終わった。
「ガセネタ」は、明らかに音楽をやっているのではなく、バンドだったので、曲を作るというのは、お体裁だけのことだった。2曲目については、すったもんだしたあげく、浜野が「父ちゃんのポーが聞こえる」という題名をつけたが、けっきょくのところ1曲目、2曲目という呼び名でしか、呼ばれることはなかった。大里の作曲による4曲目には、作曲者のイメージを尊重して「社会復帰(リハビリテーション)」という名前をつけた。
立って演奏することへのこだわりは、たいしたもので、それがどうしたって演奏中に倒れ込まざるをえないことになった。
椎間板ヘルニア、という怪我みたいな病気のことを知ったのは、大里がそれになったからで、大里によれば、バンドの機材を運ぶのに、「お前らが全然やらないから」それで腰を痛めたのだと、くり返し言っていて、ほんとうなら申し訳ないことかもしれなかったが、コルセットをはめたまま立ってベースを弾く姿が「なかなかカッコいい。凛々しい」と、浜野と口々にほめあったら、「血も涙もない奴らだ」と言いかえして、笑っていた。
—『役立たずの彼方に』山崎春美の文章より
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◇二〇〇八年六月(すぐに来てくれないかと言われ)
───俺はもう長くない。何もしなければ二、三ヶ月と言われた。手遅れらしい。これは確実だ。手術はするが……。
こんなロックな生き方をしてきたのだから、こういう死に方は覚悟していた。痛いのはいやだが、怖くはない。後悔もしていない。最後の最後まで、人間的に生きたい。
◇二〇〇九年九月
───(友人たちの、講義続行、イベント出演等は自殺行為だ。もうやめたほうがいい。大学も休職しろ、との助言に)大丈夫だ、続ける。俺が行かないと…。
◇二〇〇九年十月
───わかった、わかった、こうなりゃ、肉食うよ。裕輔がそこまでいうなら。(死後に散骨とか、そういうこと考えるか?)いや、別に。
◇二〇〇九年十一月十六日二十二時三十分(危篤。ほぼ意識もうろう状態で)
───「ガセネタ」はすごいバンドだった。あんなバンド、ない。
◇二〇〇九年十一月十六日二十二時三十一分
───ジミ・ヘンはここで死なない。
—『役立たずの彼方に』丸宝行晴の文章より
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ほんとうは二人で、ぼくと大里の二人で、見知らぬ見知った人たち、女の子たち、少女たち、片っ端から犯すべきだったんだ。ぜったい。犯す以外に未来はなかった。
どうせ、浜野は来ないさ。必ずや顔も見せない、だろうけどぼくは、最後にきっとあいつをひきずりだせたのに。いいんだよ、来なくても。そしたら今頃きみもぼくも浜野も一緒にいられたのになあ。
—『役立たずの彼方に』山崎春美の文章より
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エンディング。
終わること。
終わり続けること。
そして、僕らは、エンディングに突入してから、
終わることが出来なかった。
エンディングとは、終わりであり、始まりであり、
中間であり、また終わりでもあった。
僕は、もう終わりだ、いま終わりだ、と思いながら演奏した。
だが、終わることが出来なかった。
終わりはやってこなかった。
どうやって終わるのだろう。
どうやったら終わることが出来るのだろう。
僕は、いつもそう思いながら演奏した。
エンディング。
僕らは、いつまでも終わり続けていた。
— 『ガセネタの荒野』
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大里俊晴(一九五八年二月五日~二〇〇九年十一月十七日)
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