古い町並(フィルム) 東広島市西条 広島県
Автор: 七ちょめ
Загружено: 2022-08-09
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古い町並フィルム撮影 東広島市西条
酒都西条は広島県の中央部に位置し、標高200~250mの隆起平原で、周囲を400m~600mの丘陵山地に囲まれた高原盆地にあり、街中赤い屋根瓦で溢れた落ちついた町である
西条盆地は戦国時代の前半は細川・大内両氏東西勢力の争奪の場となり、後半は大内・尼子両氏南北勢力の対決の場となり、そのたびに鏡山城・槌山城の争奪戦が繰り返された。
天文20年(1551)毛利氏により槌山城は攻め落とされ、大内氏の200年近い支配が終わり、後は小早川氏、次いで毛利氏の支配下となった。
関ヶ原の戦い後、この地は広島藩領となり、四日市次郎丸村と呼ばれ、山陽道最大の宿場町四日市宿として栄えた。四日市宿の町並みは西は半尾川、東は古川までの約900mの一本道の両側に町並みがあった。江戸初期の元和5年(1619)の「芸藩通志」によれば、四日市の戸数は249軒・人数1026人であった。
四日市次郎丸村には「お茶屋」と呼ばれる本陣があった。この地は重要な大宿場であったので、広島浅野藩が直営でこれを営み「御茶屋」と称していた。
今この西条の町の屋根瓦は殆ど赤褐色である。この赤瓦を土地の人は「あぶら瓦、又は、来待瓦」と呼んでいる。この地方で生産されているもので、盆地のため寒暖の差が激しく、瓦内部に水分を吸収しないようにして、冷害に強くしたものである。明治時代に石州(島根県)の瓦職人が移り住んで、瓦製造の技術をひろめたといわれ、霜や雪に強く、寒冷地に適した瓦である。
町並みはゆるくカーブしていて、ほぼ中央に桝形が設けられ、道は鍵の手状に折れ曲がっている。この桝形は軍事上遠見遮断のため設けたもので、ここでは胡社を桝形に置いて、町筋にアクセントをつけている。
旧山陽道の本町通りから少し北に御茶屋(本陣)跡があり、当時の御門が復元されていた。
酒造の町 西条という呼び名は明治以降のことである。酒質の改良に全力を注ぎ、広島の酒を全国的なものにした功労者は三浦仙三郎と橋爪陽である。
広島の水は軟水が多く、硬水の灘式醸造方では良い酒ができないので、軟水に適する醸造方法を作り出し、広島のコクのある酒、広島の女酒といわれる酒ができ大きく発展した。
西条(広島)で一番古いのは、延宝3年(1675)創業の白牡丹酒造である。主屋はL字型の曲り屋になっていて、二階建て、白壁の虫籠窓、千本格子、赤い桟瓦葺きであって、腰高までナマコ壁になっていて、犬矢来が付けられていて、杉玉が一つ下がっていた。西条近辺の酒造会社で最大手は賀茂鶴酒造だ。その他には西条鶴酒造、亀齢酒造、福美人酒造、賀茂輝酒造、山陽鶴酒造、賀茂泉酒造などがあったが、どの酒造メーカーも赤い瓦と白壁の酒蔵、赤いレンガの四角の煙突が、酒造メーカーのトレードマークのようで、赤瓦の町並みの景観に寄与していた。
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音楽:中北音楽研究所
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