「意識のワーク」87~【「性善・性悪・性選択」説】「「頭」・「プラーナ体」・「過去」・「過去全体」でのエネルギーの動かし方」「心臓のワーク」86
Автор: 気ヒーリング
Загружено: 2025-12-19
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最初は「意識のワーク」のお話しで、「ワークの実践」は10分あたりからになります。
前回の話しの補足でもあり、横道の話しです。例のごとく、動画の要約ではありません。
人は生まれつき「善なのか、悪なのか」という問題があります。孟子の「性善説」、荀子の「性悪説」です。ここでは、「性善説」だとして、考えてみます。その根拠として挙げられているのは、「井戸に落ちた子供を見て、助けようと思わない人間はいないであろう」ということです。水難事故で、溺れた人を助けようとして、その人自身が溺れてしまうという話しが毎年のようにあります。
その行為を善と呼ぶかどうかは別として、少なくとも人は、
「そのような存在なのです」
ここでは、選択以前の問題です。選択の余地がないからです。
わが身を振り返らず助けに行っても、これは非難するに値しません。
「猫が猫であるように、犬が犬であるように、人が人であるとは、そういうことだからです」
ハトホルの見解を聞いてみたいのですが、その話しは、次回また考えてみたいと思います。
ここでは、「性善説」「性悪説」をめぐる、別の話しをさせていただきます。
「性善説、性悪説、どちらが正しいのか」
少し、考えていただきたいのですが・・・
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これは、「二択問題」でよくあることですが、
「問題が間違えている」
ということです。
「人は、性、善であり、性、悪である」
ということです。生まれつき、善悪、両方を持っているということです。
これだけでは、悪がある以上、絶望的な話しになりますが、あるいは、悪しき自由──何をしても人の本性にかなっている──という強弁を誘いかねない話しになってしまいますが、もちろん、それが「人の性」のすべてではありません。そこには、
選択という、自由を自由たらしめる、偉大なる力があるからです。
選択もまた、生まれ持っての人の性なのです。
すなわち、
「性、善であり、性、悪であり、性、選択であるのです」。
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