松鶴 春団治 文枝 米朝 今だから聴く上方落語四天王【落語】
Автор: 落語ch:荒獅子男乃助
Загружено: 2026-01-22
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0:48吉野狐 32:54皿屋敷 1:04:22三枚起請 1:33:46しまつの極意 2:06:41エンドトーク
「吉野狐」
時計屋の若旦那の島三郎が芸者や舞妓に金を使い込み親元を勘当され、身投げをしようとしたところをうどん屋に止められる。話を聞いたうどん屋は島三郎を連れて帰って養子にする。島三郎は安兵衛を手伝っているうちに、うどん屋にも慣れて仕事も覚えて来た。ある日、新町の木原という店の吉野という綺麗な娼妓が訪ねて来た。追い返そうと島三郎と揉めている間に入った安兵衛に「わたくし新町の木原席に勤めておりました吉野と申します。島三郎若旦那とは古うからの深い仲、嫁にしていただこうと思うて、ここに私が働いてる間に蓄えましたお金が千円ござります」と言うことで吉野は持参金つきで島三郎の押し掛け女房となり・・・。
六代目 笑福亭 松鶴
入門当時、消滅寸前だった上方落語の復興を目指し、3代目桂米朝らと奔走。埋もれていた演目を掘り起こし、また多くの弟子を育て上げ、上方落語の復興を果たす。3代目桂米朝、5代目桂文枝、3代目桂春団治とで「上方落語界の四天王」と讃えられた。豪放な芸風と晩年の呂律が回らない語り口(1974年頃に脳溢血を患った後遺症や糖尿病の悪化や入れ歯による噛み合わせの影響)が知られているが、若い頃はまさに立て板に水というところで、テンポよく迫力のある語り、酔態や子供の表現の上手さで人気を得た。特に酒を題材に取った噺(『らくだ』など)や芝居噺(『蔵丁稚』など)を得意としていた。
「皿屋敷」
別名「お菊の皿」、腰元のお菊が、家宝の十枚揃いの皿の一枚を割ってしまったため殿様に手討にされた上に、屋敷内の井戸に投げ捨てられてしまう、その後、幽霊となって夜な夜な足りない皿の数を数えるという有名な怪談話。「皿屋敷」は、この怪談を下敷きとする滑稽噺である。原話は嘉永ごろ板『新板おとしばなし』内の「皿屋敷お菊が幽霊」。元は上方落語で、江戸落語には2代目桂三木助から6代目三遊亭圓生に教える形で伝わった。
三代目 桂 春団治
歌や芝居に表現される春団治の破天荒でやたけたなキャラクターは三代目には当てはまらず、むしろ「繊細」「華麗」という表現が三代目の芸風に当てはまる。語り口は淡々としていて艶やか。爆笑噺を得意とした初代や二代目とはまた違う上品さを持ち合わせており、その高座は「奇麗な芸」とも形容された。落語の導入部である「枕」を振らずにいきなり本題に入る型をとっていた。持ちネタの少なさで有名である。演じないものは出来ないのではなく、高座にかけられる物にならないから出さず、その結果として「完璧にやれる」ネタしか高座にかけなくなった。その代わり演じるものについては高座にかけるたびにとことん練り上げていた。大阪の演芸界では「三代目」といえば3代目春団治を指す。四天王と並び称された米朝と文枝は、それぞれ先代が短期間の名乗りだったこと、襲名が60代に入ってからだったという事情があり、同様の略され方をされることはない。
「三枚起請」
元は上方落語で難波新地のお茶屋を舞台にした噺であったものを初代三遊亭圓右が舞台を吉原遊廓に変えて東京に持ち込んだ。江戸落語では五代目古今亭志ん生が得意とした。かつて遊廓では、客と遊女との間で、年季が開ければ夫婦になることを約束する起請文を取り交わすことが流行った。町内の若い男3人が話していたところ、それぞれ馴染みの遊女から起請文をもらったという話になった。名前を見ると3人とも相手の遊女は同じ名前で嘘をつかれたと知る。しかも、3人のうち1人は妹から金を借りて借金の肩代わりまでしてやったのだった。これは他にも多くの男が騙されているぞという話になり3人でその遊女を懲らしめてやろうということになったのだが・・・。
五代目 桂 文枝
六代目笑福亭松鶴、三代目桂米朝、三代目桂春団治と並び、昭和の「上方落語の四天王」と言われ、衰退していた上方落語界の復興を支えた。叔父の斡旋で大阪市交通局に就職。趣味の踊りを習うため、日本舞踊坂東流の名取でもあった四代目桂文枝に入門する。市職員としての籍を置きながら、師匠が出演する寄席に通って弟子修行を積み「二代目桂あやめ」の高座名をもらう。翌年交通局を退職し、落語家専業となる。1957年の上方落語協会結成時には幹事の一人となる。この頃、小文枝のほか、四代目笑福亭枝鶴(後の六代目笑福亭松鶴)・三代目桂米朝・二代目桂福團治(のちの三代目桂春団治)・三代目林家染丸を加えた五人を「上方落語五人男」と呼ぶようになり、やがて染丸を除いて「上方落語の四天王」という呼び方がなされるようになった
「しまつの極意」
江戸落語・上方落語の両方で演じられる。別題(江戸落語)として「しわん坊(しわんぼう)」。「始末」は「倹約」の意味。倹約家が金遣いの荒い男に「節約する方法を教えてやろう」と持ちかける。倹約家は男に庭に出るように言い、男は言われるままハシゴを松の木の枝にかけて登り、1本の枝に両手でつかまりぶら下がる。すると、倹約家は突然はしごをはずす。怖がる男に倹約家は・・・。原話は天保8年の江戸小咄本『落噺仕立おろし』掲載の「しわん坊になる伝」。落ち(サゲ)の部分を、倹約家を扱った「しわい屋」に組み込んで演じることがある。また「名人名演落語全集」 第5巻 (大正篇)の「演目解題」(執筆:山本進)の「二丁ろうそく」の箇所には、6代目三遊亭圓生の「しわい屋」(吝問答)をこのサゲで演じる大阪の型が「始末の極意」であるという証言が記載されている
三代目 桂 米朝
現代の落語界を代表する落語家の一人で、第二次世界大戦後滅びかけていた上方落語の継承、復興に大きく貢献した。その功績から、1996年(平成8年)に落語界から2人目の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定され、2009年(平成21年)には演芸界初の文化勲章受章者となった。位階は従三位。戎橋松竹で初舞台後、長年千土地興行(後の日本ドリーム観光)に所属し、千日劇場を本拠に道頓堀角座やうめだ花月にも出演したが、1968年3月以降はフリーとなり、ホール落語、独演会、一門会を中心に活動するようになる。ラジオパーソナリティーを務めていた近畿放送の「天壇ゴールデンリクエスト」の縁で1966年7月16日、初の独演会「米朝 スポットショー」を京都府立勤労会館で開催、その流れで10月25日に現在でも続く桂米朝落語研究会をスタート。1974年、千土地時代の担当マネージャーを社長に据え芸能事務所米朝事務所を設立。現在一門の多くがここに所属する。
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