中国人が驚愕する日本人が知らない孫文の歴史的足跡
Автор: 玄洋社チャンネル
Загружено: 2024-05-24
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中国人が驚愕する日本人が知らない孫文の歴史的足跡
解説:浦辺登 一般社団法人もっと自分の町を知ろう会長
https://www.mottoji.net/
収録地:福岡市博多区中洲3-7-7ー3F
浦辺登プロフィール
幕末、近現代史の研究者、書評家。福岡大学卒。一般社団法人もっと自分の町を知ろう会長。福岡を近現代史研究の中心に置き、思わぬ人と人の繋がりから近代日本の盲点や謎を紐解いている。特に玄洋社については日本でも数少ないの研究者の一人。主な著書、『明治4年久留米藩難事件』弦書房、『維新秘話福岡』花乱社、 『玄洋社とは何者か』弦書房 等多数
著作は以下のサイトから
https://www.urabe-noboru.com/
孫文(1866-1925)
中国の革命家であり、国民党の創設者。清朝崩壊後の混乱期、辛亥革命(1911年)で中心的な役割を果たし、中華民国の建国に尽力。しかし、政争や混乱に直面し、孫文は憲政主義と革命のバランスを模索した。北伐運動で中国統一を目指し、1925年に逝去。彼の遺産は、中国近代史における不朽のものとして称賛されている。
1913年から1916年までの約3年間、日本に亡命した孫文は1914年に中国国民党の前身である中華革命党を東京で組織しました。
そしてその翌年の10月25日、孫文は宋慶齡と東京で結婚したと言われます(山田辰雄編『近代中国人名辞典』霞山会、1995年)
「大アジア主義」講演
中国へ帰国した後の孫文は、第一次国共合作を成立させ、中国国民党を改組、革命軍を組織し北京政府を打倒するための準備を進めていました。1924年11月、北京で政変が起こると孫文は北上を決断し、その途上神戸に立ち寄り、11月28日に「大アジア主義」に関する有名な講演を行っています。
講演会場となった神戸高等女学校では、2千人の席はたちまちにして満員となり、通路等までも観客が充満し、ぞくぞく詰めかけたため、同校の雨天体操場を第二会場とし、約1千人を収容しました。孫文の講演は一句ごとに拍手をもって迎えられ、相当の感動を与えた模様だと伝えています。
孫文の講演の内容を次のように伝えています。1924年11月、孫文は、神戸高等女学校にて「大アジア主義」に関する有名な演説を行っています。
ヨーロッパの侵略によって衰退を続けたアジアが、日本による不平等条約の撤廃をきっかけに復興へと向かったこと、アジアの諸民族は日露戦争の日本の勝利によって勇気づけられ、独立運動を起こしたことを指摘します。その上で欧米の文化を物質的且つ武力的とし、東洋の文化を精神的道徳的であるとの対比を行い、東洋民族が一致団結して欧米と対抗することを呼びかけました。
1924年12月、孫文は北京に到着しましたが、その体は既に末期の肝臓ガンに冒されていました。その後、病状は急速に悪化し、3月12日に北京協和病院で死去しました。この時、有名な「総理遺嘱」を残しています。その一節にはこうあります。「国民革命に力を致すことおよそ40年、その目的は中国の自由平等を求めるにあった。40年の経験を積み、その目的に到達するためには、必ず民衆を喚起し、世界の中国を平等に扱ってくれる民族と連合し共同で奮闘しなければならないことを深く知った。現在、革命は未だ成功していない。およそ我が同志は私が著した『建国方略』、『建国大綱』、『三民主義』と『第一次全国代表大会宣言』に依って、引き続き努力し、成し遂げなければならない」
平成21年(2009年)12月、習近平中国国家主席が副主席時、福岡と北九州市を訪問した。
北九州市の安川電機の工場見学、国父・孫文を囲い支援した旧安川家(玄洋社)などを訪問
孫文(1866年 - 1925年)は、中国の革命家であり、中華民国の初代臨時大統領としても知られています。彼は中国の近代化と革命の旗手として知られ、中国の農民や庶民による民主主義の擁護者でした。
彼は広東省の中山で生まれ、革命活動を志しました。彼の最も著名な活動は、辛亥革命(1911年)であり、これは清朝の滅亡と近代中国の誕生をもたらしました。この革命の結果、孫文は中華民国臨時大統領に就任し、その後も国家の指導者として活躍しました。
1925年、孫文は広州で死去しました。彼の死後、彼の遺産と思想は中国の政治や社会の方向性において深い影響を与え続けました。
2022年2月『2月県議会』一般質問民主県政クラブ県議団の原中誠志氏
「本県の歴史的認識と今後の広報について」
1913年、大正2年、2月13日から3月28日までの44日間、前・国家元首の栄光に包まれ、孫文は日本政府の賓客として来日します。この時、同年3月16日から19日までの4日間、福岡に滞在しています。
この福岡滞在中、3月17日には、まさにこの地、東公園の「一方亭」(いっぽうてい)にて、安川敬一郎、貝島太助、松本健次郎、麻生太吉、中野徳次郎、伊藤伝衛門、堀三太郎の七氏連合にて、炭鉱経営者主催の歓迎会が開かれています。名前を聞いてもお判りのように、福岡を代表するそうそうたる面子(めんつ)であり、これら炭鉱経営者が孫文に革命資金を提供していたわけです。
そして、翌3月18日、東中州の「福岡県公会堂」、現在の「旧福岡県公会堂貴賓館」ですが、そこで福岡県主催の歓迎会が催されています。出席者は官民各層200人ほどで、盛大な歓迎会であったという事が、当時の「福岡日日新聞」に記事として残っています。
当時の川路利恭(かわじ としあき)第17代福岡県知事の挨拶のあと、孫文が演壇に立ち、「福岡市において盛宴に招待され、また吾国の大事業たる革命に際しても、多大の援助力を受けている九州の人士(じんし)、福岡県人に感謝する。」という言葉を述べています。
1913年、大正2年、3月16日から19日までの4日間、孫文は福岡県を訪れ、このうち北九州には2日間、滞在しています。
3月16日には、戸畑に安川敬一郎氏を訪ね、安川が設立した「明治専門学校」、現在の「九州工業大学」で講演し、同日、安川敬一郎邸に宿泊しています。このとき、滞在のお礼として「世界平和」という書を揮毫しています。贈呈された扁額は現在、「北九州市立いのちのたび博物館」が所蔵していますが、レプリカは「安川電機歴史館」の入り口に飾ってあります。
そして、翌3月17日には「八幡製鐵所」を視察、翌3月18日は「九州帝国大学医学部」を参観し、夕刻には「九州帝国大学」で講演しています。九州大学の総長室には孫文が送った「學道愛人」という書額がかかっています。
更に、翌3月19日には大牟田市に出向き、三池港、四ツ山発電所、三井港倶楽部で昼食、万田鉱を視察後、「三井工業学校」、現在の「三池工業高校」で、学生たちに演説をしています。なお、孫文が揮毫(きごう)した暢達(ちょうたつ)な筆勢の「開物(かいぶつ)成(せい)務(む)」の書額が「三池工業高校」の校長室に掛けられています。
孫文の来日
大正2(1913)年2月13日から3月23日にかけて、孫文の一行が来日しました。中華民国臨時大総統を袁世凱に譲り、孫文は「鉄路総弁」に任命されていました。
もちろん、これ以前も以後も孫文は何度も日本を訪れ滞在しています。しかし、日本政府が友好的に孫文を遇したのはこの時だけでした。
孫文一行は、2月11日に上海を出発し、13日朝に長崎港着。長崎からは門司・下関を経由して鉄道で東京へ向かい、14日夜、東京・新橋駅に着。当初2週間の予定だった東京滞在を延長して、3月5日朝、新橋駅を出発するまで19泊20日を東京で過ごしています。
孫文一行は、長崎から東京までを往復し、復路では、横須賀、名古屋、奈良、大阪、神戸、広島などに立ち寄り、九州に戻りました。当時の新聞によれば、3月17日午後に福岡入りした孫文は、翌18日、複数の歓迎会に出席し、九州帝国大学医学部で講演をしたほか、平岡浩太郎(ひらおかこうたろう)の墓参り、玄洋社(げんようしゃ)訪問、安永東之助(やすながとうのすけ)の墓参りをしています。当時の「福岡日日新聞」(「西日本新聞」の前身)の記事から、福岡滞在中の一行のスケジュールを再現すると、次のようになります。
崇福寺(福岡市博多区)安永東之助の墓前の孫文一行(大正2年3月18日)
崇福寺(福岡市博多区)安永東之助の墓前の
孫文一行(大正2年3月18日)
3月16日(日)
05:50 下関停車場着、山陽ホテル(山口県下関市)で休憩
08:20 門司鉄道桟橋着、戸畑へ
09:00 明治専門学校(現・九州工業大学)を訪問
安川敬一郎邸(福岡県北九州市戸畑区)へ
泊:安川敬一郎邸
3月17日(月)
08:30 安川邸を出発
09:00 八幡製鉄所(福岡県北九州市八幡東区)を視察
13:20 八幡停車場発、博多へ
15:30 博多駅着、貴賓室で休憩
16:00 常盤館(ときわかん)(水茶屋(みずちゃや)、福岡市博多区千代2丁目)へ移動
17:00 孫文の代理が福岡日日新聞社(須崎土手町(すざきどてのちょう)、福岡市中央区天神4丁目)を訪問
18:00 安川ら主催の晩餐会
泊:常盤館
3月18日(火)
10:00 常盤館を出発
聖福寺(しょうふくじ)(福岡市博多区御供所町(ごくしょまち))
平岡浩太郎の墓参り
平岡良助宅(天神町(てんじんのちょう)、福岡市中央区天神2丁目)を訪問
中野徳次郎別邸(大名町(だいみょうまち)、福岡市中央区大名2丁目)を訪問
玄洋社(西職人町(にししょくにんまち)、福岡市中央区舞鶴2丁目)を訪問
13:00 常盤館で旧友会
15:00 崇福寺(そうふくじ)(福岡市博多区千代4丁目)安永東之助の墓参り
九州帝国大学医学部(現・九州大学医学部)を参観
17:00 九州帝国大学で講演会
18:00 公会堂(現・旧福岡県公会堂貴賓館、福岡市中央区西中洲)で歓迎会
泊:常盤館
3月19日(水)
08:30 博多駅発、大牟田へ
10:58 大牟田駅着、三池築港へ
11:10 四ツ山発電所着
11:40 三井港倶楽部(大牟田市)着、昼食会
13:20 三井港倶楽部出発、炭山などを視察 宮崎滔天邸(熊本県荒尾市)へ
15:30 万田(まんだ)炭坑(熊本県荒尾市)へ
16:30 コークス工場を見学
17:00 三井工業学校(現・福岡県立三池工業高校)へ
17:40 三井港倶楽部へ
19:00 三井港倶楽部で晩餐会
泊:三井港倶楽部
3月20日(木)
08:48 大牟田駅発、熊本へ
福岡市入りの前は、戸畑の明治専門学校と八幡製鉄所を訪問し、大牟田では三池港の諸施設などを視察しているのに比べ、福岡では「旧友」を訪ねる類のスケジュールが目立ちます。
出典
アジア歴史資料センター
https://www.jacar.go.jp/modernjapan/p...
宮崎兄弟記念館
https://www.city.arao.lg.jp/kurashi/s...
2022年2月『2月県議会』一般質問民主県政クラブ県議団の原中誠志
「本県の歴史的認識と今後の広報について」
https://haranaka.jp/gikai_question/20...
wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%...
「九州プリンシプルTV」
https://qpri.tv/
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