人間関係で疲れる理由を精神科医が解説します。
Автор: 精神科医 芳賀高浩
Загружено: 2026-02-15
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こんばんは。精神科医の芳賀高浩でございます。
今日はですね、「人間関係って、疲れませんか?」というお話を、皆さんと一緒に考えていこうと思います。よろしくお願いします。
いや、疲れるんですよ。人間関係って。
これ、なんで疲れるのか。理由はわりとシンプルで、「人って一人ひとり違うから」なんですよね。月並みな言い方ですけれど、結局ここに尽きます。違う。考え方も、価値観も、距離感も、正義感も、傷つきやすいポイントも、全部違う。違うもの同士が、毎日、同じ空間で、同じ社会で、何となく“うまくやろう”としている。そりゃ疲れます。
ただ、ここでややこしいのはですね、私たち人間って「社会的な生き物」なんですよ。
人とつながりたいように、最初からプログラムされている。これは理屈というより、ほぼ本能です。
例えばですね、虫けら――カブトムシとか、ゴキブリとか、アリとか――そういう生き物に比べれば、人間は体も大きいし、賢いし、道具も使えます。でもね、人間が食べて生きていくには、タンパク質を取らなきゃいけなかったわけです。牛や豚のような動物は、単体で見れば力が強い。だから昔の人間は、一人で狩りをするより、集団で狩りをする方が圧倒的に生き残りやすかった。つまり「一人では弱いから、群れで動くように進化した」んですよね。
だから私たちは、人と人とのつながりを求めてしまう。仲間が欲しい。味方が欲しい。所属が欲しい。
ここまでは“生物としての本能”の話です。
ところがですね、人間にはもう一つ、とんでもない特徴がある。
大脳が発達しすぎたんです。
大脳が発達しなければ、生き物ってそこまで個体差が大きくならないんですよ。本能に従って似たような行動を取るし、群れのルールも単純になる。でも人間は、大脳が発達しすぎたせいで、個体差が恐ろしく大きくなった。考え方の差、感じ方の差、言葉の使い方の差、優先順位の差――「同じ人間」という括りでは収まらないレベルで違うんです。
つまり、人間っていうのは、
「つながりを求める本能」と「違いが大きすぎる現実」
この二つを同時に抱えて生きているんですよ。
これが、人間関係がしんどくなる根っこです。
違うのに、つながりたい。つながりたいのに、違いが出てくる。ここがパラドックスなんです。
例えば友達関係で考えてみましょう。
(男女問題は性欲や恋愛が絡むので話が複雑になりますから、今日は“同性の友人関係”みたいな、性欲が絡みにくい関係をイメージしてください。)
友達ができると嬉しいですよね。人間は社会的動物ですから、仲間ができると本当に安心する。二人でもいいし、四、五人のグループでもいい。「うちら気が合うよね」「最強だよね」みたいに盛り上がることもある。
でもね、ここで起きていることは何かというと、たいてい “一側面だけを見て惹かれ合っている” んです。
趣味が合う。ノリが合う。話のテンポが合う。笑いのツボが合う。
それは確かに大事なんだけど、あくまで“一側面”なんですよね。
時間が経つと、当然それ以外の側面が見えてきます。
金銭感覚が違う。距離の詰め方が違う。連絡頻度の感覚が違う。人の悪口の言い方が違う。謝り方が違う。約束の重さが違う。
で、ここで多くの人が疲れる。
「似てると思ってたけど、全然違うな」
この事実が、じわじわ効いてくるんです。
本当はね、「違うのが当たり前」なんですよ。
最初に合ったのは一側面で、違う側面が出てくるのも当然。
でもそれを頭では分かっていても、心が追いつかない時がある。
で、心が追いつかないと何が起きるかというと、「合わない感じ」を、こう解釈し始めるんですね。
「相手が、私のこと嫌いになったんじゃないか」
「いや、もしかして最初から無理してたのかな」
「私が何かしたのかな」
こうなると、つらい。
最初は「二個一」「運命の友達」みたいに感じていたのに、だんだん“微妙な違和感”が出てくる。その違和感を、「違い」ではなく「拒絶」に変換してしまう。
そうすると、人って、近づいたり離れたりを繰り返すんです。仲良くなりたい。でも傷つきたくない。だから距離を取る。でも孤独が怖い。だからまた近づく。
これが「人間関係で疲れる」の正体のひとつです。
そしてですね、同じ「疲れる」でも、疲れ方にタイプがあります。
大きく分けると二つです。
一つは、いわゆるASD傾向があって、場の空気や微妙なサインを読み取りにくくて、気づいたら孤立してしまい、結果として疲れるタイプ。
もう一つは、逆に 気づきすぎる タイプ。気を使える人、社会性が高い人ほど、こっちで疲れます。
人と人のコミュニケーションって、実は「微妙な変化」の連続なんですよね。
言葉だけじゃなくて、表情、目線、声のトーン、間、姿勢、空気の緩み、緊張――そういう非言語情報が、ずっと流れている。
例を出しますね。
例えば、本人がすごく気にしているポイントがある人がいるとします。鼻の形でもいいし、声でもいいし、体型でもいい。周りから見たら別に悪くない。むしろ整っている。でも本人は気にしている。
あなたが善意で「鼻筋きれいだよね」って言ったとする。
すると相手が一瞬、「えっ…」って表情をすることがあるんですよ。ほんの一瞬。0.5秒くらい。
そしてすぐに、「いやいや、そんなことないよ」って笑うかもしれない。
ASD傾向のある人は、話の内容に集中しているうちに、その一瞬の「えっ」を見逃しやすい。だから「なんで今、空気が変わったのか」が分からないまま進んでしまって、後から「あれ、なんか嫌われた?」となって疲れる。
逆に、気を使える人、敏感な人は、その「えっ」をキャッチしすぎる。
キャッチした瞬間に、「しまった」「今の言い方まずかったかも」「傷つけたかもしれない」って脳がフル回転する。で、挽回しようとする。フォローしようとする。説明しようとする。
でも人間関係って、次の瞬間には別の「えっ」が発生することもあるんです。別の表情の揺れがある。別の違和感がある。
それを全部拾って、全部対処しようとすると、そりゃ疲れます。社会性が高い人ほど、「拾わなきゃ」「直さなきゃ」「ケアしなきゃ」になりやすいんですよね。
つまり、人間関係は――
気づかなすぎても疲れるし、気づきすぎても疲れる。
この板挟みになりやすい。
じゃあ、どうしたらいいのか。
私はですね、結局ここに落としどころがあると思っています。
「空気を読む」を“仕事”にしないこと。
そして、読み取る力を“7割運用”にすること。
人の表情の変化って、注意すれば分かります。片目をつぶったら誰でも分かる。それと同じで、微妙な変化も本来は見える。
でも、見えたからって全部対応しなくていいんです。
人間関係って、「全部正しく」「全部優しく」「全部誤解なく」なんて無理なんですよ。
だから、どこかで「これは今、流していい」「これは今、確認した方がいい」「これは後でいい」って、自分の中で仕分けする。
気を使える人ほど、ここが大事です。
そしてASD傾向で困っている人は、「空気を読む」より「確認する」に寄せるといい。
分からないなら、推測で抱え込むより、「今の大丈夫だった?」って一言聞く方が、むしろ関係が安定します。空気は読める人が読むもの、じゃなくて、必要なら言葉にして調整していいんです。
最後に、これだけは覚えておいてください。
そもそも人間関係は疲れるものです。
疲れるのはあなたが弱いからじゃない。人間がそういう生き物として作られていて、しかも個体差が大きすぎるから、構造的に疲れるんです。
だから、疲れたら休んでいい。距離を取っていい。
「全部うまくやる」ではなく、「壊れない運用」を目指す。
この感覚を持っていただけると、少し楽になるんじゃないかなと思います。
精神科医の芳賀高浩、毎日19時に動画を出しております。
今日は「人間関係が疲れる」という、まさに皆さんが日々直面しているテーマを扱いました。私は精神科医として、日々の診療の中で感じていることを、出し惜しみなく共有していきたいと思っています。もちろん精神科医によって考え方は多少違うでしょう。でも私は、実臨床の現場で見ていること、感じていることを、皆さんと一緒に言葉にしていきたいんです。コメントをいただければ、双方向的に、より役に立つ形に育てていけると思っています。
それでは、精神科医の芳賀高浩でございました。
明日もまた、必ず19時にお会いしましょう。
さよなら。
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