「意識のワーク」93~【「内と外」にまつわる四つの話題】「「頭」「体全体・カー」「」「未来(過去全体)」での意識を使ってのエネルギーの動かし方」「心臓のワーク」91
Автор: 気ヒーリング
Загружено: 2025-12-31
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最初は「意識のワーク」のお話しで、「ワークの実践」は18分あたりからになります。
今回は「寄り道」で、前回「92」でふれた「内と外」にまつわる話しです。四つあります。
1)ひとつは、前回「内なるものが外なるものをつくる」というのは、不思議だが、よく考えれば不思議ではないと言いましたが、これは、宇宙人ハトホルの名言
「エネルギーは、意識にしたがう」
ということを知っているからです(エネルギーは「外」で、意識は「内」です)。
・・・しかし、本当に知っているのだろうか、ということで、動画を撮った後に反省しているのです・・・
「すべての外的なものはエネルギーである」というのは、よしとしても、問題は意識です。意識が何かということも分かりませんが、とりあえずそこは問題にしないにしても、
「意識は、どうやって、エネルギーに影響を与えているか」
これが、さっぱり分からないのです。遠隔治療をしてるので、ある意味では、よく分かるのですが・・・それでも、やはり分かりません・・・さっぱり分かりません・・・という状態にいます。
2)また、「内なるものである意識」が「外なるものであるエネルギー」をつくり出していると言っても、同時に、「外なるもの」は「内なるもの」に影響を及ぼしているのです。このことがなければ、
「意識が自らを物質として表現した」
意味などなくなってしまいます。精神世界の道を歩む人には、少なからず「内を重視して、外を軽んじる」方がいらっしゃいますが、それは、実は「内なるもの」を軽んじていることでもあるのです。
3)「諸行無常」、この世は儚(はかな)い世界である、と言います。残るものは何もないと言いますが、それは、外だけを見ているからです。確かに外には何も残っていません。しかし、実は、
「すべては、内には残っているのです」
俗に「記憶」と呼ばれる無味乾燥な言葉で表されますが、そこには、「在る」のです。無常でなく、“有常”です。有常としての世界の扱いをされていないので、軽んじられて無価値なものにされているのです。
4)前述の「3」に付随する話しで「被害者と加害者」の話しです。外だけを見れば、加害と被害の違いは明白です。それゆえ、加害者と被害者の違いも明白です。ただ、それを内なる場に移したときに、加害・加害者はかならずしも明確でなくなります。なぜかというと、
「内なる場では、自分を見ることが困難だからです」
自分を加害者と見ることはできなくなるのです。
自分が何をしているのか、知らないのです。
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