第1847回「思い込み」2026/1/27【毎日の管長日記と呼吸瞑想】| 臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師
Автор: 【公式】臨済宗大本山 円覚寺
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最後に一日のはじまりを整える、呼吸瞑想がございます。
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麟祥院での勉強会では、小川隆先生による『宗門武庫』の講義を受けています。
毎回とても勉強になります。
先日は五祖法演禅師とその弟子圜悟禅師のお話でした。
五祖法演禅師と申しますが、これは達磨大師から五代目の五祖禅師ではありません。
五代目の禅師は、五祖弘忍禅師です。
弘忍禅師が住されたお山を五祖山と呼ぶようになり、その五祖山に住していた法演禅師を五祖法演禅師と申します。
この五祖禅師のお弟子に、圜悟禅師がいらっしゃいます。
圜悟禅師は仏果禅師とも申します。
そのほかにも仏鑑禅師、仏眼禅師とがいらっしゃって、五祖下の三仏と称せられています。
この圜悟禅師が後に『碧巌録』を著します。
またその弟子が大慧禅師であります。
仏果圜悟禅師と仏鑑禅師とは、もともとは東林常総禅師のお弟子に当たる方から無事の禅を学んでいました。
無事とは、自己の心こそが仏であり、自己の感覚·動作はすべてそのまま仏作仏行にほかならず、ことさら聖なる価值を求める修行などはやめて、ただありのまま「平常」「無事」でいるのがよいとする教えであります。
これは馬祖禅師や臨済禅師が説かれたものです。
禅の素晴らしい教えなのですが、このありのままでよいとする無事の教えは、後には「無事禅」または「平実の禅」といって批判の対象になります。
圜悟禅師も『碧巌録』では、この無事のままではなく、この無事を打破することを強調されているのです。
その原体験となる話です。
そのような無事の教えを学んでいた圜悟禅師と仏鑑禅師とは五祖禅師のもとに参じました。
五祖禅師は、無事の禅を批判されています。
二人も五祖禅師のもとでは、「それまで会得していたものは一言も通用せず、長らく開悟することができなかった」のでした。
しかし二人は、せっかく本来無事、ただありのままでいればよいのに、五祖禅師が力づくで、余計なものに作り変えようとしているのだと思って、五祖禅師に不遜な言葉を吐いて出て行ったのでした。
五祖禅師は「浙江あたりへ行って、一度、熱病にでも倒れれば、そこではじめてわしの事を思うことになろう」と言いました。
あにはからんや、五祖禅師の言われた通り、圜悟禅師は金山に行って突如、激しい熱病にかかって重態となります。
病舎に運び込まれました。
そこで、ありのままでよい無事、平実の禅でこれを乗り越えようとしましたたが、何の力にもならなかったのでした。
そこで五祖禅師の言葉を思い出して回復したらすぐに五祖禅師のもとに行こうと思いました。
仏鑑禅師もまた定慧寺で熱病を患い重篤となりました。
回復した圜悟禅師は、仏鑑禅師を誘って共に五祖禅師のもとに帰ろうとします。
仏鑑禅師は圜悟禅師に先に行ってくれと言いました。
そして圜悟禅師は五祖禅師のもとに参じて、そこで開悟するという話なのです。
ここのところ、この無事禅への批判の話が続いています。
そこで私もこの無事であることと、無事でよしとする無事禅との違い、無事禅の何が問題なのかを考えていました。
そんな折に私が先日『臨済録』で講義をしたのが、次の問答でした。
岩波文庫『臨済録』にある入矢義高先生の現代語訳を引用します。
「師が行脚して竜光のところへ来た時、ちょうど竜光が説法していた。師は進み出て問うた、「鋒先を交えずに、どうしたら勝つことができますか。」竜光はきりっと居ずまいを正した。師「大善知識たるもの、何か別に手立てがないものですかな。」竜光は目をむいて言った、「シャーッ。」師は竜光を指ざしながら言った、「このおやじ、今日は負けだぞ。」」
という問答です。
短い問答です。
竜光禅師が拠座といって居ずまいを正すのも、目をむいて声を発するのも共に、自己の心が仏であるから、その自己のあらゆる営みは仏作仏行であるとする無事の教えを表していると思いました。
無事禅を模倣するような傾向が既にあったのだと察します。
後に玄沙禅師が、
「一般の縄床に坐す和尚の称して善知識と為すもの有り、問著せば便ち身を動かし手を動かし、眼を点じ舌を吐き瞪視す。」ということを指摘されています。
このような輩は「大いに人を賺す。」と言っています。
「縄床に座って指導者と称する輩がいるが、これに質問してみれば、体を動かしたり手を動かしたり、はたまた目を指さしたり、ベロを出したり、にらみつけたりする。」(『唐代禅宗の変容と終焉 法眼』土屋太祐 臨川書店)というのです。
自己の身体の動作がすべて仏性のはたらきだとしているのです。
それが既に形式化してしまっているのを批判しているのです。
そこで私もこの竜光禅師と臨済禅師の問答も、形骸化した無事禅を臨済禅師が否定されたものとして講義をしました。
終わった後に小川先生からこの臨済禅師と竜光禅師の問答は体と用を表しているのではないかとご指摘をいただきました。
「鋒先を交えずに、どうしたら勝つことができますか。」という問いに対して竜光禅師が居ずまいを正したのは、真如の
体を表しているというのです。
臨済禅師に更に本体だけで方便がないのかと問われて、竜光禅師は目をむいて、「嗄」と言ったのは、用、はたらきを示したとみるのです。
この問答は短い問答なので、実際のところは、竜光禅師や臨済禅師でないと分からないのですが、私は最近無事禅の問題ばかりで頭がいっぱいになっていて、これも形骸化した無事禅への批判だと読み込んだのでした。
すっかり思い込んでしまっていたと気がつきました。
思い込みにとらわれて読み込んではいけないと思ったのでした。
横田南嶺
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