菅谷(すがや)神社 埼玉県比企(ひき)郡嵐山(らんざん)町菅谷
Автор: なにぬねの
Загружено: 2025-11-21
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菅谷(すがや)神社
埼玉県比企(ひき)郡嵐山(らんざん)町菅谷
御祭神は大山祇命をお祀りし
保食命、菅原道真公、須佐之男命のほか
当地を所領とした畠山重忠を
お祀りする記述も見られる
創建は建久元年(1190年)
源平合戦で活躍した畠山重忠が
当地・菅谷を恩賞として与えられた際に
菅谷館の守護神として日吉大社を
勧請したとされる
畠山重忠は秩父平氏の一族で
同族には江戸氏、河越氏、豊島氏がおり
父の畠山重能(しげよし)は
平家に従っていた
そのため治承4年(1180年)に
以仁王の令旨で挙兵する源頼朝と対立し
頼朝方である三浦氏の居城
衣笠城を秩父平氏の一族で攻め立てた
しかし源頼朝が房総半島で
兵力を蓄え挽回したため
畠山重忠は先祖が八幡太郎義家から賜った
源氏の白旗を掲げて
その軍門に下っている
以降は御家人として
源平合戦である治承・寿永の乱や
文治5年(1189年)に奥州藤原氏を滅ぼす
奥州合戦で戦功を挙げた
しかし執権・北条氏が権力を掌握し
有力御家人が次々滅ぼされる中にあって
元久2年(1205年)畠山重忠は謀略により
武蔵国二俣川で数万の兵に対して
わずか130騎で戦い、討死した
畠山重忠の妻は
初代執権・北条時政の娘だったが
源氏一門の足利義純(よしずみ)と再婚し
以後、畠山家の名跡は源姓として
継承された
室町期には足利将軍家に次ぐ
三管領家の一つとして
畠山家は名を馳せることになる
なお当地は鎌倉街道上道(かみつみち)
沿いにあたり、南は鎌倉や武蔵国府
北は上野・信濃・越後をつなぐ要衝として
多くの坂東武者を輩出した地である
そのためこの嵐山町では
畠山重忠とともに
木曾義仲という有力武将が
生まれている
畠山重忠亡き後の菅谷館は
戦国期には山内上杉氏と扇谷上杉氏の
須賀谷原(すがやはら)合戦の
舞台ともなり
天文15年(1546年)の河越夜戦以降は
山内上杉氏を破った後北条氏が
配下の小泉掃部助(かもんのすけ)を
菅谷館の城代とし
河越城の抑えとしたという
明治以降の当社は
一時、日吉神社と改称し
明治40年(1907年)には
稲荷神社と天神社を合祀して
菅谷神社となった
本殿前の「山王宮」の扁額は
熊谷市原島の真言宗福王寺を開基した
愚禅和尚の揮毫とされる
境内社には
稲荷神社、津島神社、天神社のほか
畠山重忠のルーツである
秩父神社が鎮座する
また1,300km遠方にある
壱岐国一宮
天手長男(あめのたながお)神社が
境内社として鎮座する
近隣の大里郡寄居町小園にある
壱岐天手長男神社から
勧請したと見られ
はるか昔、当地にやってきた石田家が
故郷の壱岐国から勧請したとされる
神社である
なお江戸時代の当地
比企郡菅谷村は
韮山代官・江川太郎左衛門が支配し
石高は201石あったとされる
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