太極八法・左右挫捶 (2.13) 2026東瀛太極拳社
Автор: 東瀛太極拳社ー無極而太極
Загружено: 2026-02-12
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太極拳の基本「身法」の八法(掤、捋、擠、按;採、挒、肘、靠)を、左右前後中の方向を示す五歩(進、退、顧、盼、定)に結び付けて練拳する方法で、ここでは「左右挫捶」と合わせて練っています。
「練拳者の一言」2026.2.12
現在、太極拳と称される武術は太極拳という名前が付けられた時点から武術としての「拳」に「太極」が合体し、発展してきました。それは「形而下の器」に相当する「拳」が先にあり、後に「形而上の道」としての「太極」が加わったものと言えます。すなわち、「拳」という前者が科学によって証明できる合理性を備えた物質領域の目に見える事象であるのに対し、「太極」という後者は思想、あるいは哲理という精神領域の目に見えない概念ということができ、それはまた科学と非科学が一体となった関係になったとも言えるでしょう。そして、この両者を繋ぐものが陰陽であり、「太極」が生み出したとされるこの陰陽二気で「拳」を解釈することで太極拳が成立するようになりました。王宗岳の作とされる「太極拳論」がその冒頭「太極者、無極而生、陰陽之母也。」(太極とは、無極から生じ、陰陽の母なり。)として、「太極」が陰陽の母体であることを明言するとともに「欲避此病、須知陰陽」(こうした誤りを避けるには、陰陽を知らなければならない)と指摘しているところにその起源があります。まさに、それは「太極・拳論」であり、「拳」を「動静、曲伸、剛柔、順背、緩急」など「太極」を母体とする陰陽関係で説明しています。そして、この陰と陽は「対立、互根、消長、転化」という関係にあると考えられることによって、事物の変化や身体運動を説明するのに有効となります。言葉を換えて言えば、太極拳はこの陰陽関係でほぼすべて説明ができることになります。この陰陽二気を生む「太極」について、周敦頤は『太極図説』で「太極図」を示すとともに、次のように説明しています。
無極而太極。 太極動而生陽。 動極而靜。 靜而生陰。 靜極復動。 一動一靜。 互爲其根。 分陰分陽。 兩儀立焉。 陽變陰合。 而生水火木金土。 五氣順布。 四時行焉。 五行一陰陽也。 陰陽一太極也。 太極本無極也。 五行之生也。 各一其性。 無極之眞。 二五之精。 妙合而凝。 乾道成男。 坤道成女。 二氣交感。 化生萬物。萬物生生。 而變化無窮焉。
無極にして太極。 太極動いて陽を生じ、動くこと極まつて静なり。 静にして陰を生じ、静なること極まつて復た動く。 一動一静、互に其の根と為り、陰に分れ陽に分れて両儀立つ。 陽変じ陰合して水火木金土を生じ、五気順布し四時行はる。 五行は一陰陽也。 陰陽は一太極也。 太極は本無極也。 五行の生ずるや、各其の性を一にす。 無極の真と二五の精と妙合して凝る。 乾道は男と成り坤道は女と成り、二気交感して万物を化生す。 万物は生生して変化窮まること無し。
(『太極図説・通説・西銘・正蒙』西 晋一郎 訳註 小糸 夏次郎 訳註(岩波文庫))
これに「註」を加えた朱熹は「太極,理也,陰陽,氣也。氣之所以能動靜者,理為之宰也。) 故曰:「無極而太極。」非太極之外,復有無極也(有無合一之謂道)。(太極とは理なり、陰陽は気なり。気が動いたり静になったりできる所以のものは、理がこれを宰るからである。それゆえ、「無極にして太極」と言い、太極の外に、無極があるというものではない。(有無合一を道という。)。」としています。朱はここで「太極」は「理」であり、その「理」が陰陽という「気」を「宰」としています。しかし、「太極拳論」は「太極」は「無極」から生まれるとするとともに、そこには「理」という文言はありません。この「太極」が幅広く認知される原初になった『易経 繋辞伝』には「是故。易有太極。是生兩儀。兩儀生四象。四象生八卦。八卦定吉凶。吉凶生大業。」(是(こ)の故に、易に太極有り、是れ兩(りよう)儀(ぎ)を生ず。兩儀、四(し)象(しよう)を生ず。四象、八卦を生ず。八卦、吉凶を定む。吉凶、大業を生ず。)とあります。ここには「理」どころか、「無極」さえありません。朱と「太極拳論」のそれを図式化すると、朱の無極=太極(理)→陰陽、「太極拳論」の無極→太極→陰陽となるでしょう。この「太極」をめぐる問題はこの朱と陸兄弟(九齢・九淵)との間の論争など、文人にとって大きなテーマとなり、今日まで継続されています。しかし、さまざまな議論が行われてきましたが、それはいずれも科学によって証明されるものではなく、文人それぞれの見解ということになります。「太極」にはこうした「形而上」の議論がつきものであり、「器」としての「拳」を語る際にも、「太極」に触れる人が少なくないのも当然のことです。
とは言え、「太極」をめぐる文人間の議論は極論すれば、一般の「老百姓」(庶民)にとってはどうでもよいことです。ただ、太極拳を修練する「老百姓」について、日本と中国の相違に触れると、「太極」が生み出す「陰陽」は中国では医学、食物、住居などあらゆる生活領域に滲透しており、彼の地の人にとっては極めて身近な存在であるのに対し、日本ではかつて「陰陽師」が存在した時代がありましたが、われわれの生活領域には基本的には浸透していないことを指摘できます。なぜなのかを練拳者はずっと考えてきました。その答えは日本には神道由来の「八百万(やおよろず)の神」がいたるところにいたからだという仮説を得ました。日本においては、武道場には「神棚」が置かれ、一礼して入ることが普通であり、アスリートは競技場に出入りする際、一礼します。甲子園球児が甲子園の「砂」を持ち帰るのはそこに何かが宿っていることを感じているからでしょう。さらに言えば、針供養や人形供養など針や人形も単なる物質ではなくそこに何かが宿ると考えての風習だと思われます。それは日本という地域には「八百万(やおよろず)の神」文化があり、中国という地域には「太極」文化があって、この両地域に住む「老百姓」はそれぞれ異なる文化を継承してきたものであり、太極拳は日中文化摩擦の象徴とも言えるのではないかと考えています。
練拳者は太極拳には「健身、競技、資格、武術、文化」という五つの領域の情報が備わっていると考えていますが、太極拳を学ぼうとする人の多くは「健身」(養生)を目途としています。ですから、一般に重心の移動循環によるゆっくりとした有酸素運動に具現化される「拳」を練ることで汗を流すことが太極拳だと考えられています。それは科学の部分であり、文化背景の相違にかかわらず、だれでも受け入れることができる普遍性をもつものでもあります。ここで考えるべきことは他の運動と比べて太極拳に如何なる優位性があるのかということです。練拳者はその優位性はやはり太極拳の「形而上の道」=「太極」という非科学の部分、それが備える文化性にあると考えています。それゆえ、練拳者自身は太極拳を「健身」、「武術」を含む中国の広義の「文化」事象だと考えています。
文人の「形而上」の議論はさて置き、「太極図」とその説明は人をして自分を考えさせるものです。もちろん、それは「心」(脳)で考えるものであって、目には見えない「形而上の道」であり、人それぞれ異なる認識をもつものでもあります。そこに「太極」TAICHIの魅力が凝縮されているのではないでしょうか。そして、それが「心」(脳)から「身」(体)へと伝えられ、知らず知らずのうちにその人の「拳」に影響を与え、人それぞれの太極拳を育むことになることで、無限の広がりをもつことになるのです。制定拳、競技拳、伝統拳いずれも太極拳という名を冠している以上、こうした太極拳の「優位性」を忘れてはならないでしょう。その「優位性」は、「世界無形文化遺産代表作リスト」に「太極拳」として登録された際、その「類別」で「有关自然界和宇宙的知识和实践」(自然界及び宇宙に関する知識及び実践)に置かれていることからも認知されていると言えるでしょう。ここでは太極拳は「知識」としての「太極」と「実践」としての「拳」の「形而上」と「形而下」が結合した「無形文化遺産」として認められたのです。
「太極一家」という言葉があります。「太極拳をする者は一つに結ばれている」とでも訳せるでしょうか。中華圏の公園や広場はその場(太極)にさまざまな「拳」が共存している「太極一家」を体現しています。練拳者は、このチャンネルは中華圏の公園を想定して、その一部で練拳者が太極拳を練っている日常を動画としてアップしている、と常々言っています。もちろん、練拳者には師事した中国の先生がいます。その中の一人は「公園でさまざまな太極拳を見て、そこから太極拳を学びなさい。下手であればあるほど学ぶことが多いので、目を凝らしてよく見なさい。」と言われました。爾来、中国、台湾、香港などの中華圏に行くと早朝公園や広場に太極拳を見に行くのが常になり、無数の太極拳愛好家の「心」(脳)と「身」体が結びついたそれぞれの太極拳から多くを学んできました。それゆえ、練拳者は公園派、あるいは公(園)広(場)派を自認しています。そして、日々の練拳(練心・練身)は昨日―今日―明日と続く「生老病死」という人生の途上での「知行合一」、「身心如一」、「天人合一」を目指しての練拳者の営みであり、ここにアップする動画から日本文化を継承した一練拳者の太極拳という中国文化との「格闘」の足跡を見ていただければ幸いです。
練拳者は、「太極」という大宇宙の中では、「人」はそれを構成するひとつの小宇宙に過ぎませんが、生成される万物にはすべからく神々が宿り、その不断の運動の中に「人」は活かされ、「天」と「地」の狭間で、「心」(脳)によって、「身」体が導かれる太極拳を通じて、日々、その中にある自己を認識している、と考えています。
以上、春節(2月17日元旦)を前に、この「練拳者の一言」で語ってきた「心得」と「体得」を踏まえ、今年78歳になる練拳者の太極拳観をまとめてみました。
なお、最後に、「太極」に対する理解に資する文献としてネット上で検索できる下記の論文を挙げておきます。
佐藤貢悦「『周易』における太極の思想的意義」
「『周易』繫辞伝における道の根本思想」
早川雅子「山崎闇斎の太極観に関する一考察」
「朱熹における太極観」
吾妻重二「太極図の形成―儒佛道三教をめぐる再検討 」
孫路易「朱子の「太極」と「気」」
嚴錫仁「佐藤直方の理気論−朱・陸の太極論争との関連において」
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