「意識のワーク」84~【「われわれは一体である」というのは、「意識のプロセス全体」をイメージして可能となる】「“未来”・頭・体全体でのエネルギーの動かし方」「心臓のワーク」84
Автор: 気ヒーリング
Загружено: 2025-12-13
Просмотров: 24
Описание:
最初は「意識のワーク」のお話しで、「ワークの実践」は12分からになります。
「われわれ人間はどのような存在であるか」・・・古今東西問われ、そして答えられたきた問いです・・・分からないということも含めて・・・
その答えのひとつは、「神との対話」風に答えるなら、
「われわれは、存在のプロセスである、存在の道である」
ということです。
存在をつくり変えていく存在であり、
存在を新たに規定していく存在であり、
存在を新たに創造していく存在である、
ということです。
その変容・規定・創造の際に使われるのが、・・・というかそのことが可能となるのは、
「エネルギーは意識にしたがう」
ということです。この世界はエネルギーであり、推測するにあの世界もエネルギーであり、多次元の世界もエネルギーです・・・ただし、この世界でイメージするエネルギーとは違うかもしれませんが・・・
「つまり、すべてはエネルギーであり、そのエネルギーは意識にしたがう」
ということです。この意味で、
「すべての源は、意識なのです」
この意識はわれわれの意識の話しですが、その意識がどこから来たのか。その源をたどった見解が、ハトホルの言う
「意識は、自らを物質として表現した」
ということなのです。この意識を個々人の意識と区別するために「大いなる意識」と呼んでいますが、はたして、どこをどう区別するのか、曖昧模糊としたところもあります。
なお、「神との対話」の神もまるで同じことを言っていますが、こちらは「大いなる意識」を「神」と呼んでいます。まあ、キリスト教国での本なので、そうなるのです・・・
このことは、いままでさんざん言ってきたことの振り返りです。問題はここからで、では、その「自己の変容・規定・創造」はどのように行われるかということです・・・
これが前回のお話しで、
「自他を通して行われる」
「自己は、他者を通して変容・規定・創造される」
ということで、驚くべきことなのです。
「わたしは他者を通じてしか創られないのです」
「わたしとは、一体全体、自他を区別する、わたしという言葉で表現されるものなのでしょうか」
この疑問に関する答えは、一生分からないのではないかという言葉、「神対」で繰り返し言われている言葉から導き出されます。
「われわれは一体である」
からなのです。
このわれわれとは、私見では、「人類全体」であり、「神と人」であり、“それゆえ”(神はすべてであるから)、「モノと人」であり、「宇宙人と人」である、ということです。
「われわれは一体である」
これは、「E=mc2乗」の公式のようであり、この式だけからは「エネルギーと質量の等価性」だけしか分からないように、「一体」の公式は、もっとこねられる必要があるのです。そのあたりを言及したのが、ハトホルの「意識に関する見解」です。
これまた、数えきれないほどご紹介した「意識が物質として表現された変容史」です。
1)意識は、自らを物質として表現し、
2)その物質は意識によって生命へと高められます。生命の誕生で、これが「第一の目覚め」です。植物意識と呼ばれるものです。
3)その生命は複雑化して高度なものとなり、自意識が目覚めます。これが「第二の目覚め」であり、そこでは、物質から発したにもかかわらず、そこから分かれてもいる存在です。
4)「第三の目覚め」は、他者との関係、自分が属する集団との関係から生じる意識で、多くの人々が進化の停滞に陥る意識レベルでもあります。
5)「第四の目ざめ」は個人から超個人への意識の移行を指す目覚めで、利己性から宇宙性・普遍性への移行の意識です。
これから先もあるということですが、ほとんどの人にとっては抽象的で実用性がないということで、省かれています。ともあれ、
「この「1~5」の意識の段階すべてが、“ひとつ”なのです、一体なのです」
この「意識段階全体」をたずさえて生きる時、自他の関係が創造の基盤となるのは当たり前のことなのです。
Повторяем попытку...
Доступные форматы для скачивания:
Скачать видео
-
Информация по загрузке: