三軒茶屋ナザレン教会礼拝説教「もはや戦うことを学ばない」2025年11月30日アドベント1
Автор: 三軒茶屋ナザレン教会
Загружено: 2025-12-01
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2025年11月30日アドベント1 礼拝式説教
イザヤ書2章1~5節
「もはや戦うことを学ばない」
日本ナザレン教団三軒茶屋教会
牧師 石川博詞
<説教から> 救い主イエス・キリストの誕生を待ち望むアドベント(待降節)を迎えました。私たちクリスチャンにとってアドベントの意義とは、キリストが再び、私たちのところにお出でくださる信仰をいよいよ確かにしすることです。そのために今、イザヤ書2章を読みました。イザヤは、救い主到来を預言し、待ち望み続けるよう語りました。そのように、救い主到来の希望を抱いて生きることこそが信仰の根源なのです。イザヤが預言したのは戦争が続く不安な時代でした。平穏な生活は失われ、人々の心から希望が消え、主なる神様への信仰も薄れていくばかりでした。未来には悲惨な状況が待ち受けていたのです。そんな時代にイザヤは、主なる神様からの救いがあることを人々に伝え、主を信じて、悔い改め、心も行いも清めるよう訴え続けたのです。そして、必ず救い主が来てくださり、平和をたらしてくださることを、ひたすら待ち望むよう訴えたのです。残酷で、愚かさの極みである戦乱、そうした世界は、なにもイザヤがいた古代オリエントの時代だけではありません。人間の歴史とは、まさに戦争の歴史です。現在の私たちも、そうした悲惨さを毎日見聞きしています。日増しにその危機感は増すばかりです。このような時代が続くのかと思うと、未来は暗闇に閉ざされているとしか思えなくなってしまいます。
しかし、それでもイザヤは希望を預言し続けます。4節で兵器が生産の道具へと作り変えられて、戦うことそのものを忘れ去ってしまうと言っています。戦争という狂気の真っ只中で、イザヤは完全な平和の希望を語り続けるのです。しかし、暗闇の中で苦しみ、絶望しかない民に、そうした言葉は空想としか感じられなかったかも知れません。イザヤが語る光など見えはしない、と思えたことでしょう。現代の私たちにもそう聞こえてきてしまいます。あたかもイザヤには、悲惨な現実が見えていないかのようにさえ思えてきてしまいます。
しかし、決してそんなことはありません。イザヤは現実の悲惨さを目の当たりにした上で、主なる神様からの預言を語り伝えているのです。3節をご覧ください。「主はわたしたちに道を示される。わたしたちはその道を歩もう」とあります。完全な平和の到来は、イザヤが思いついた想像などではなく、主なる神様は、そこに至る詳細な道筋を明らかにしてくださっています。ただ、その道筋は信じて希望を持ち続ける者にだけ示されます。ですから、完全な平和の預言を聞く者は、主なる神様への信頼が問われるのです。
今、クリスチャンである私たちにも、主なる神様からの御言葉を本気で信じているでしょうか。その信仰の有無が問われています。いよいよ暗闇へと向かって行くかのような世界です。世界中が戦争の備えに躍起になってしまっています。「剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とし、国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない」との言葉が、多くの人々には理想としか聞こえてこないかも知れません。それでも、私たちクリスチャンは、救い主の到来を待つ希望を持つ信仰に生きるのです。人の知恵だけでは、到達できない完全な平和ですが、救い主を待ち続ける信仰によって、その時は必ずやってきます。現実がいかに厳しくとも、主を待ち続ける信仰だけが希望の光です。その光を見失ってはなりません。主が示してくださる光の中を歩む信仰だけが、私たちを支え続けるのです。
もちろん、イザヤが伝える完全な平和の実現、すなわち私たちにとっては、救い主キリストが再びこの世界に来てくださる日が、いつ実現するのかは知る由もありません。それでも私たちクリスチャンは、完全な平和の到来、救い主の到来をひたすら信じて待ち望み続けます。必ず来られることを信じる、この希望が私たちを支え、守るのです。信じて待ち続ける者こそが信仰者です。もし、私たちに主への信仰がなかったならば、絶望しかありません。信仰によって私たちは生きるのです。ですから、クリスチャンがなすべき証しとは、自分の能力や立派さを誇ることではなく、主への希望に生きている姿なのです。戦いが起こってしまう根底には、相手を打ち負かすまで互いに力比べをし、競い合うという心の弱さ、幼稚さがあります。私たちクリスチャンが力を注ぐことは、そのようなことであってはなりません。私たちクリスチャンが真に力を注ぐべきこととは、主イエス・キリストが再びお出でくださる日、完全な平和が訪れる日の希望から決して目を離さないでいる姿なのです。もはや戦うことさえ学ばない世界を見続けている姿です。そうしたクリスチャンの姿こそが、真の信仰の証を隣人へ伝えて行くのです。
主イエス・キリストは十字架の上で私たちの罪の身代わりとなってくださり、復活されました。そうして私たちは救われ、復活の希望に生かされています。この福音は暗闇に覆われた世界に光を射し込み、すべての人々に希望の光を注ぎます。ですから、いかに世界が暗闇に覆われようとも、私たちクリスチャンには希望の輝きが見えています。光さえ見えていれば、後はただひたすらその中を歩むだけです。アドベント、主なる神様がお与えくださった希望を新たにしましょう。
主なる神様の御恵みをお祈りします。アーメン。
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