【長野市若穂川田の街並】1611(慶長16)年に徳川家康の六男松平忠輝によって設けられた北国街道脇往還(善光寺街道)沿いの宿場町跡には今も古い街並が残ります。
Автор: Discover NAGANO
Загружено: 2025-12-02
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若穂川田(わかほかわだ)は長野県長野市の東部、ちょうど千曲川(信濃川)と犀川の合流地点となる長野盆地の東の端あたりにあります。
近くには田園風景が広がり田畑や住宅が多く見られます。長野道長野ICに近く、国道403号線や県道34号線なども町内を横断するため交通量が比較的多い場所です。若穂牛島や若穂綿内などと隣接しており一帯には古い街並が多く残ります。
若穂川田は、かつて北国街道脇往還(わきじゅうかん)の宿場町「川田宿」として栄えました。北国街道脇往還とは北国街道の脇道(少しそれた街道)になります。善光寺街道、松代道、北国街道脇往還松代通り、谷街道など呼び方はいろいろとありますがどれもほぼ同じです。
川田宿は、城下町松代を出発して約7キロ先の最初の宿場町になります。千曲川と犀川の合流地点に近いため、川が増水して渡れなくなると「川止め」となり宿場はとても賑わったそうです。
1738(元文3)年6月、一帯は洪水にみまわれ川田宿の田畑屋敷は流失し、その翌年水害を避けるために山麓の高台にある現在地に移転しました。
宿場の道筋がコの字状になっているのが川田宿の特徴で、現在もその地割が鮮明に残っています。表通りとなる本町の通りは当時から幅が12メートル近くあり、東西の端には1対(2基)の火災除けの神「秋葉社」が祀られました。
秋葉社は、縦に長い自然石の中に一本の柱を埋め込み、その上に欅(けやき)を細工して龍の透かし彫りなどを施しています。これは善光寺山門の造営にも参加した信濃の国の名工、亀原和田四郎の作と伝えられています。
この地域は当時より防火に対する意識は高かったようで、宿場内には今でも大小10以上の火の見櫓や半鐘が残っています。
宿場は、上横町、本町、下横町からなり、上横町の街道入口には、松代藩の口留番所が置かれ、千曲川を渡る関崎の渡しや隣接する須坂藩との間で往来する人や荷物の改め(手荷物検査)を行っていたということです。
(00:00)スタート
(00:15)秋葉社
(00:54)表通り散策
(01:41)西澤邸(川田宿本陣・問屋)
(02:16)高札場
(02:58)和泉屋跡
(03:11)北村邸(改装中)
(04:20)学林寺跡(町川田公民館)
(05:27)秋葉社
(06:40)村役人の屋敷
(08:12)二十三夜塔と道祖神
(10:43)川田宿本陣
(13:10)史跡古町宿庚申塔
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